いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『異言』グレゴリー・ケズナジャット(著)の感想【与えられた役割を演じる】

与えられた役割を演じる

異言というタイトル。聞きなれない言葉です。

辞書には、

その人の態度や事実と、言うこととが違うこと

とあります。

主人公は、幼少のときに行った教会で、異言を目にします。

洗礼を受けた少女が、今までの態度と別人のように喋りだしたのです。

異言を喋りだしたとき、本当に聖なる力を感じていたのかそんな力を信じたくて、その渇望が自ずと彼女の口から溢れ出たのかそれとも彼女はただその場で要求された演出を果たしたのか

主人公には見分けがつきませんでした。

アメリカで生まれ育った主人公は、福井県に住んでいます。

英会話学校で働いていましたが、学校が倒産します。

かつての同僚の紹介で、主人公は教会の牧師の仕事をすることになります

同僚は、挙式で牧師をする自分たちを「小道具」と言います。

チャペルもそうだし、賛美歌もそうで、俺とおまえも同じ範疇に入っている。オーディエンスは、おまえのことを別に個人として見てるわけじゃない単なる表象だそこにいるだけで、楽しい楽しい別世界にいるような気持ちにさせる

単なる表象。チャペルも賛美歌もカタコトの牧師も、別世界です。

若干稚拙な発音の方が好印象を与える

外国人の牧師さんの発音が、日本人と同じである必要はありません。

同僚は言います。

日本語がよくできたところで別にいいことがあるわけでもないさ無理しなくも、俺たちには俺たちなりの役割がある

カタコトの牧師という役割です。その役割を演じればいいのです。

その役割は、誰かに代えられる可能性があります。

英会話学校もカタコトの牧師も、異言した少女も代えが効きます。

与えられた役割を演じてもらえばいいからです。

では、代わりが効かないものはあるのでしょうか。

例えば、主人公が付き合っている女性。

彼女は、主人公の英会話学校の生徒の一人でした。

英会話学校が倒産し、行き場を失った主人公を助けてくれました。

彼女がいなければ、主人公は福井を出ていたかもしれません。

助け合いですね

と、彼女は主人公を家に住まわせます。

彼女にとっても、主人公の代わりはいませんでした。

愛情というより、助け合いです

英語を学びたい彼女にとって、主人公との生活は自宅でホームステイしているようなものです。

彼女は、日本語を話そうとする主人公を止めます。

わたしは、英語を喋るあなたが好きですかっこいいです

主人公は日本語を話すことができません。

本当に、主人公と彼女はお互いに代えが効かない存在かいうと、そうではありません。

主人公は牧師の仕事で金銭的余裕が出て、彼女の家を出て行くかもしれません。

彼女に英語を学ぶ必要がなくなって、主人公に家を出て行くよう言うかもしれません。

自分にとっての誰かは、代わりが効きます。

逆に言えば、代わりが効かないのは、自分にとっての自分だけです。

主人公の同僚は、「日本語がよくできたところで別にいいことがあるわけでもない」と言いますが、日本語がよくできなければこの小説は書けません。

著者は、日本語ができて良かったと思っているかわかりませんが、私はこの作品を読めて良かったです。