会話、性欲、愛
前作『プレーンソング』に退屈さを感じていたのに、続編である本書を手に取ってしまいました。
『プレーンソング』の感想はこちらです。
なぜ本書を読んだかというと、数々の文学賞を受賞し、後の作家に影響を与えている保坂さんの作品を、「退屈だ」で終わらせたくなかったからです。
結果的に、読んで良かったです。
本作は、『プレーンソング』同様、物語に大きな展開はありません。
主人公の住む2LDKのアパートに、友人やその彼女が住み着き、4人で暮らしています。
各々で行動していて、
- 映画を観に行ったり、
- 近所の野良猫にエサを与えて回ったり、
- 同僚と競馬に行ったり、
- 聖書やニーチェを読んだり
です。
みんな仕事熱心ではなく、お金はなさそうですが、楽しそうに生活を送っています。
前作と大きく違うのは、主人公の恋愛要素が入ることです。
相手は、通っている喫茶店の店員です。
巻末の解説の石川忠司さんは、
「仕事」とは切り離されてなお気楽で親しげなとき、しかもそうしたくつろいだ雰囲気が恒常的に持続している以上なおさら、それはれっきとした人工的な「技術」や「方法」の産物なのであって、そして多分この「技術」には性欲というものが深くかかわっている。
と書いています。
主人公は、喫茶店の彼女の家に毎日通い、
日課のようにセックス
をします。
ですが、彼女が主人公の家に住み着くようになると、体の関係はなくなります。
再び石川さんの解説で、
彼らは普通に一緒にいて、ただしゃべってダラダラくつろいでいるだけ、即物的に声で大気をかきまぜているだけであり、しかし多分このようにしてのみ性欲は自然に外へと放出される。
なぜ、しゃべってダラダラくつろいでいることで性欲が放出されているかはわかりませんが、性欲が放出されることで、主人公のアパートに心地よい空間が維持されているのは確かです。
性欲が入り込まないことで、良好な人間関係が保たれています。
ただ、彼女のいない同居人もいます。
その同居人は、主人公の恋人の寝ている顔をじっと見ていました。
過去にも他の女性の寝顔を見ていたことを指摘された同居人は、
- 手、見てたんだ
- 手が好きだったんだ
と言い返します。
この同居人は、好意を抱いている女性の寝顔(手)を見ることで、性欲が放出されていたのでしょうか。
主人公が寝ている彼女を見ているときは、
一方的な<見る――見られる>の関係の中にいると思うせいか、ぼくは眠っている工藤さんがだんだんといとおしいような気持ちになって
と、性欲ではなく、いとおしさを感じています。
石川さんの解説で、
会話、性欲、そしてバラまかれた性欲としての気楽で楽しげな雰囲気、すなわち世界をおおう幸福な「愛」。――これら三つはいつもセットになっている
と書かれています。
主人公は、「会話」「性欲」「愛」の三つを満たしていますが、同居人はそうではありません。
好意を抱いてもじっと見ることしかできない同居人には、まず「会話」が欠けています。
石川さんの解説を読んだ後は、一方的に見るしかできない同居人の危うさを感じました。
調べた言葉
- 迂遠:まわりくどいさま
- 気ぜわしい:気持ちがせかされて落ち着かないさま