いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『遮光』中村文則(著)の感想【虚言癖の青年の記録】(野間文芸新人賞受賞)

虚言癖の青年の記録

著者の中村さんは、巻末の解説で、

不条理に対して、勝てる見込みのない抵抗を試みた、一人の虚言癖の青年の記録

と書いています。

大学生の主人公は、恋人を交通事故で亡くします

主人公は、彼女の死を受け入れられません

病院で彼女の死体を見た主人公は、

二人にしてもらえませんか

と言った後、縫われた小指の糸をライターで焼き、小指を持ち帰ります

小指を彼女と見立て、偏愛します小指をホルマリン漬けした瓶を、持ち歩きます

友人には、「彼女はアメリカへ留学に行った」と明るく嘘をつきます。

主人公の虚言について、中村さんは、

人が死ぬというどうしようもない絶望を、認めることができなかった

と解説します。

主人公の嘘を、友人は、

必要じゃないことまで喋るし、しかもすらすらとさ、詰まることなく口から出てくるんだよ。(中略)嘘ついてる自覚症状ないのかなって、思ったよ

と言います。

なぜ、ここまでの虚言をするようになったのでしょうか。

主人公は幼い頃に両親を亡くしています

両親を亡くした主人公は、中年の夫婦に引き取られます。

父親代わりだった男は言います。

私達ももうすぐ、お前を手放さなければならん

主人公は捨てられるようです。親代わりなのに、名前でなく「お前」呼ばわりです。

主人公は、死んだ両親の髪や爪を保管しており、親代わりの男は気に入らなかったのかもしれません。

お前が悲しんでいれば悲しんでいるだけ、人はお前にやさしくするんだ。でもな、人っていうのは、それが長く続くと、段々うっとうしさを感じたりもするんだ。そして、お前に悲しみを乗り越えるように、要求するようになる。

(中略)

乗り越えられないなら、振りだけでもいい、なるべく快活に、元気に、まず、気に入られなさい

主人公は、男の教えに従い、

快活に生活しながら、時折、しかし本当は心の奥で悲しみをもっているのだと思わせるような、そんな印象さえ周囲に与えた。

そんな主人公は、周囲に喜ばれ、それを教えてくれた男に感謝の念を抱きます。

幼少時の成功体験から、主人公は「彼女が事故死していない振り」をしています。そうすれば彼女が戻ってくるから、ではありません。「彼女はアメリカに留学しているから、ここにいなくて当然」という振りを続けています。

気になるのは、なぜ、恋人の指をホルマリン漬けし偏愛するのかという点です。彼女がアメリカ留学しているなら、彼女の指が主人公の手元にあることに矛盾が生じます。彼女の指もアメリカにあるからです。その点を主人公がどのようにとらえていたかは、不明です。

『遮光』は、それ単独で読むと面白いのですが、前作『銃』と比べると、「銃」と「恋人の小指」が被ります。

  • 『銃』:偶然銃を拾った青年が、「銃」を偏愛し、銃に翻弄されていく話
  • 『遮光』:亡くした「恋人の小指」を偏愛し、彼女と見立てた小指と一体化する話

物を持ち歩き、偏愛するといった点では同じですが、「虚言癖の青年の記録」といった点で、『銃』とは異なっていると感じました。

遮光 (新潮文庫)

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