虚言癖の青年の記録
著者の中村さんは、巻末の解説で、
不条理に対して、勝てる見込みのない抵抗を試みた、一人の虚言癖の青年の記録
と書いています。
大学生の主人公は、恋人を交通事故で亡くします。
主人公は、彼女の死を受け入れられません。
病院で彼女の死体を見た主人公は、
二人にしてもらえませんか
と言った後、縫われた小指の糸をライターで焼き、小指を持ち帰ります。
小指を彼女と見立て、偏愛します。小指をホルマリン漬けした瓶を、持ち歩きます。
友人には、「彼女はアメリカへ留学に行った」と明るく嘘をつきます。
主人公の虚言について、中村さんは、
人が死ぬというどうしようもない絶望を、認めることができなかった
と解説します。
主人公の嘘を、友人は、
必要じゃないことまで喋るし、しかもすらすらとさ、詰まることなく口から出てくるんだよ。(中略)嘘ついてる自覚症状ないのかなって、思ったよ
と言います。
なぜ、ここまでの虚言をするようになったのでしょうか。
主人公は幼い頃に両親を亡くしています。
両親を亡くした主人公は、中年の夫婦に引き取られます。
父親代わりだった男は言います。
私達ももうすぐ、お前を手放さなければならん。
主人公は捨てられるようです。親代わりなのに、名前でなく「お前」呼ばわりです。
主人公は、死んだ両親の髪や爪を保管しており、親代わりの男は気に入らなかったのかもしれません。
お前が悲しんでいれば悲しんでいるだけ、人はお前にやさしくするんだ。でもな、人っていうのは、それが長く続くと、段々うっとうしさを感じたりもするんだ。そして、お前に悲しみを乗り越えるように、要求するようになる。
(中略)
乗り越えられないなら、振りだけでもいい、なるべく快活に、元気に、まず、気に入られなさい
主人公は、男の教えに従い、
快活に生活しながら、時折、しかし本当は心の奥で悲しみをもっているのだと思わせるような、そんな印象さえ周囲に与えた。
そんな主人公は、周囲に喜ばれ、それを教えてくれた男に感謝の念を抱きます。
幼少時の成功体験から、主人公は「彼女が事故死していない振り」をしています。そうすれば彼女が戻ってくるから、ではありません。「彼女はアメリカに留学しているから、ここにいなくて当然」という振りを続けています。
気になるのは、なぜ、恋人の指をホルマリン漬けし偏愛するのかという点です。彼女がアメリカ留学しているなら、彼女の指が主人公の手元にあることに矛盾が生じます。彼女の指もアメリカにあるからです。その点を主人公がどのようにとらえていたかは、不明です。
『遮光』は、それ単独で読むと面白いのですが、前作『銃』と比べると、「銃」と「恋人の小指」が被ります。
- 『銃』:偶然銃を拾った青年が、「銃」を偏愛し、銃に翻弄されていく話
- 『遮光』:亡くした「恋人の小指」を偏愛し、彼女と見立てた小指と一体化する話
物を持ち歩き、偏愛するといった点では同じですが、「虚言癖の青年の記録」といった点で、『銃』とは異なっていると感じました。