父親の期待に背くこと
感想①はこちらです。
村上さんの父親は、戦場で生き残りました。
戦争から戻った父親は、京都帝国大学で文学を学びます。
村上さんの母は、
あなたのお父さんは頭の良い人やから
と、よく言ったそうです。
父親に比べ、村上さんは、
学問というものに対する興味がもともとあまりなく、学校の成績は終始一貫してあまりぱっとしないものだった
と言います。とはいえ、早稲田大学に入学していますから、学年のトップ層と比べてぱっとしないだけで、落ちぶれているわけではないでしょう。
村上さんの成績に、父親は、
平和な時代に生まれて、何にも邪魔されず、好きなだけ勉強できるというのに、どうしてもっと熱心に勉学に励まないのか
という思いがあっただろうと、村上さんは推測します。
勉強をしたくてもできない環境にいた父親からすれば、当然の価値観でしょう。
ですが、村上さんは父親の期待に応えることができませんでした。
僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを――あるいはその残滓のようなものを――抱き続けている。
だからといって、父親の期待どおりに勉強に励んでいれば良かったと、後悔するわけではありません。
必死に勉強することよりも、
- 好きな本を読み、
- 好きな音楽を聴き、
- 外で運動をし、
- 友達と麻雀をし、
- ガールフレンドとデートをしてきたことを、
村上さんは肯定します。
僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないのだろう。そして枠組みの傾向の中で成長していくしかないのだろう。
それに、
- 一般的に親が子どもに言う「勉強しなさい」と、
- 村上さんの父親が村上さんに思う「勉学に励まないのか」は、
違うものだと思います。
- 「勉強しなさい」:勉強しなかった親の後悔を、子どもに晴らしてほしい
- 「勉学に励まないのか」:勉強できなかった環境の父親が、勉強できる環境にいる村上さんに期待する
村上さんは、勉学に励まなかったことを後悔していません。むしろ、正しい選択だったと確信しています。
この点から、自分で考えて決めたのであれば、必ずしも親の期待に応える必要はないと思いました。
逆に言えば、勉強以外にやりたい何かがなければ、親の言うとおりに勉強するのが、無難でしょう。勉強しなかった後悔を、自分の子どもに押し付けないためにも。
私は、勉強以外にやりたい何かがないのに、学生時代をだらだら過ごしてきました。
社会人の今、自分の後悔を子どもに押し付け「勉強しなさい」と言うのではなく、自分がやりたいことを続けられる人間でありたいです。それが誰かの期待に背いても。