父親との確執
村上さんが、父親について語ります。
思い出すのは、日常のありふれた光景だと言います。
父親とのエピソードに、「猫を棄てたこと」があります。
村上さんが小学校低学年の頃、父親と一緒に海岸へ行き、猫を棄てます。
「かわいそうだけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで玄関の戸をがらりと 開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って、尻尾を立てて愛想良く僕らを出迎えた。
棄てに行った猫に、先回りして出迎えられた村上さんと父。再び猫を棄てに行くことはしませんでした。
猫エピソードのもう一つに、松の木から降りられず、鳴き続けた子猫がいました。
子猫はどうしたわけか、降りられない高さの松の木に上り、助けを求めるよう鳴いています。
ですが、梯子が届かなかったので、村上さんと父は助けられません。
子猫の出来事から、村上さんは教訓を得ます。
降りることは、上がることよりずっとむずかしい
村上さんが成長するにつれて、父親との関係が変わっていきます。
- 結婚して仕事を始めると、疎遠
- 職業作家になってからは、屈折し、絶縁に近い状態
20年以上、全く顔を合わせなかったそうです。
父親との関係を修復するよりも、
自分のやりたいことに力と意識を集中させたかった
と言います。
僕はまだ若かったし、やらなくてはならないことがたくさん控えていたし、自分の目指すべき目標がとても明確に頭にあったからだ。
村上さんの「目指すべき目標」が何だったのかは、語られませんでした。
村上さんが、本書で語りたかったことは、
僕はひとりの平凡な人間の、一人の平凡な息子に過ぎないという事実
だと言います。
村上さんは、高い松の木から「降りようとしている」のではないかと思いました。
村上春樹という大きな作家から、村上千秋の息子という一人の人間に立ち返ることです。
戦争に行った父は、いつ死んでもおかしくありませんでした。
父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。
なぜ今、そんなことを言うのでしょう。
村上さんが、死の準備に向かっている気がします。
死ぬ前に伝えるべきことを伝える、戦時中の体験を後世に残すかのようです。
村上さんが、松の木で鳴いていた子猫のことを思うとき、
死について考え、遥か下の、目の眩むような地上に向かって垂直に降りていくことのむずかしさについて思いを巡らす。
村上さんがなぜ生まれ、どうやって死んでいくのかについて、
- 生まれたのは偶然が重なったから
- 父との関係より自分のやるべきことに集中してきたが、一人の平凡な人間
- 死ぬ前に、伝えるべきことを書き残したい
そうした宣言を、本書から感じました。
調べた言葉
- 豪放磊落(ごうほうらいらく):度量が大きく、些細なことにこだわらないさま
感想②はこちらです。