感動して泣くとは思わなかった
ハリーポッターを読んで(聴いて)、泣くとは思いませんでした。
読んで(聴いて)と書いたのは、Amazonオーディブルを使ったからです。
厚い本を読む時間や気力はありませんでしたが、朗読を聴くなら良さそうだと、聴く読書であるオーディブルを選びました。
私がハリー・ポッターシリーズに初めて触れたのは、20年以上前です。
まず映画を観て、その後で本を読みました。
当時の最新刊だった「炎のゴブレット」まで、一気に読みました。
数年後、「不死鳥の騎士団」が発売された頃には、ハリーポッターに興味を失ってました。
20年以上経って、つい先日『ハリー・ポッターと賢者の石』を読みました(聴きました)。
面白かったです。男性が一人で朗読してるのですが、女性キャラクターを演じる声も、違和感なく聞けます。
ただ、物語の感想は書かなくてもいいかと思い(それより次の作品を読み進めたかったので)、次作の「秘密の部屋」に進みました。
それに「賢者の石」では、ホグワーツの教員が特定の生徒に肩入れしすぎてる印象を抱きました。
「秘密の部屋」を聞き終わって、感動して呆然としました。
次作の「アズカバンの囚人」に進む前に、この呆然とした感じを書き残しておきたいと思いました。
次に進むより、もう少し感傷に浸っていたかったです。
約20年前に「秘密の部屋」の映画を観たり本を読んだりしたときとは、印象が異なりました。
以降、「秘密の部屋」のネタバレを含むので、ご注意ください。
ちなみに、Audibleオーディオブックでは、2024年11月14日現在、3か月99円セールをしてます。99円でハリー・ポッターの全シリーズ聴けます。
「秘密の部屋」は、終盤まで面白く聴いてました。
作品に触れたのは20年以上前でも、大まかなストーリーは把握してました。
当時、衝撃を受けたからでしょう。
- 秘密の部屋にいる青年トム・リドルが、実はヴォルデモートと同一人物というからくり(トム・リドルの文字を入れ替えるとヴォルデモートになる)
- ハリーが、ドビーというマルフォイ家の召使を解放するシーン(主人から物をもらうと自由になれるドビー。ハリーがマルフォイ父に靴下に入った物を渡し、マルフォイ父が靴下だけを投げ捨て、ドビーが受け取ることで、解放される)
当時中学生の私は、ストーリー展開にワクワクしました。
20年以上経った30代の私は、不意に泣いてしまいました。
ハリー・ポッターで感動して泣くとは、思いもしませんでした。
終盤、秘密の部屋で、ハリーはどうしようもなくなります。
トム・リドルに呼び寄せられた大蛇(バジリスク)と対峙するハリーに、なす術がありません。
どうにもできなくなったハリーのもとに、ダンブルドアの飼っている不死鳥と、組分け帽子が現れます。
不死鳥は、大蛇の目を突いて、見えなくします。
ハリーが「助けて」と言うと、組分け帽子からグリフィンドールの剣が現れます。
ハリーは剣で、大蛇を突き刺します。
絶体絶命のピンチで助けを呼んで助けが来るなんてご都合主義、と思わなかったのは理由があります。
ダンブルドアの言葉です。
ホグワーツでは、助けを呼ぶものには、必ずそれが与えられる
これは、ハリー(ロンもいましたが)に向けられた言葉でしょう。
ハリーは、ダンブルドアの言葉を思い出して助けを求めたわけではないと思います(回想シーンがなくて余裕がない感じがいいです)。
不死鳥や組分け帽子が来たのは、ご都合主義でなく、ダンブルドアがホグワーツを守ってたからだと納得できます。
秘密の部屋から戻ったハリーたちは、ダンブルドアやマクゴナガルに会います。
マクゴナガルは言います。
約100もの校則をこなごなに破ったと言っておきましょう。でもポッター、いったい全体どうやって、全員生きてその部屋を出られたと言うのですか
マクゴナガルは校則に厳しい人です。
それなのに、校則を破ったことへの罰則よりも、全員生きて秘密の部屋を出られたことを聞きたがってます。
ダンブルドアは、
君たちがこれ以上校則を破ったら、二人を退校処分にせざるを得ないと言いましたな
と言ったのち、前言を撤回をします。罰則どころか、功労賞を与えられます。
校則を破ったとしても、人を助け、ホグワーツの危機を救ったハリーたちを、手放しで表彰します。それが良いです。
規則は破るためにあるわけではないけれど、突き破った先でしか得られないものもあると、教えてくれます。
ハリーがいなかったら、秘密の部屋に入れませんでした。
ハリーは、蛇語を話せます。蛇語を話せるのは、在学生で一人だけです。
ハリーは、スリザリンの継承者として、噂されます。
トム・リドルには、自分に似てると言われます。
ハリーが組分け帽子を被ったとき、スリザリンに入る可能性がありました。
ハリーが「スリザリンは嫌だ」と言わなければ、スリザリンに入ったかもしれません。
ハリーは、自分がスリザリンに入るべきなんだと、ダンブルドアに告げます。
ダンブルドアは、「それでも組分け帽子はグリフィンドールに入れた」と言います。
自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ
ハリーの持っている能力とは、例えば「蛇語を話せること」で、どのような選択をするかは、「スリザリンは嫌だ」と主張したことでしょう。
その結果、ハリーはグリフィンドールに入り、グリフィンドールと書かれた剣を扱うことができました。
自分の持ってる能力ではなくて、自分がどのような選択をするか。
ダンブルドアの言葉に、ハリーが泣いたり感動したりしないのが良いです。
持ってる能力ではなく、自分の選択。
シンプルな言葉が、私にも響きました。