ぼくが一番潰したい男のこと
オードリー若林さんが書いた解説のタイトルです。
言葉の響きに惹かれました。
オードリーと南海キャンディーズは似ていると思います。
春日さん、しずちゃんという個性的で愛されるキャラクターに、若林さん、山里さんという陰湿さ漂うブレイン。
若林さんは山里さんをこう評します。
山里亮太は99%の成功があったとしても1%のミスに注目する。(p.245)
劣等感をガソリンに、努力をやめない人間はどのように芸人を目指し、売れるきっかけをつかんだのかが書かれています。
天才をあきらめたら努力するのみ
何者かにたどり着くため必要な労力を呼吸するようにできる人、それが天才なんだと思う。(p.16)
この定義でいうと、山里さんは天才ではありません。該当するのは、その道のトップだけではないでしょうか。いや、トップでさえも、呼吸するように労力をかけられる人はいないかもしれません。
山里さんは天才になるのをあきらめました。
しかし、芸人をあきらめることはなく、努力します。
できないという言葉は、冷静な分析なんていう良いものではなく、しんどい作業から逃げる簡単で恐ろしい言葉だ(p.104)
好きな芸人さんのネタをひたすら書き起こすことをやってみた。(中略)自分の笑ったところで止めて「今なんでおもしろいと思ったのか」をノートに書いた。おもしろい人のエピソードを真似してやってみたり、ある先輩が辞書を読んでると聞いたので、辞書を読んで言葉数を増やしてみたりもした。(p.62)
山里さんのワードセンスはこういうところからきているのかもしれません。
相方に求めるものが厳しすぎる
山里さんは、しずちゃんとコンビを組むまで、2人と組んでいましたが、どちらの相方からも解散を言い渡されます。
なぜなら、相方に求めるレベルが厳しすぎるからです。
- 「なんでやねん」だけを3時間言わせ続ける
- 彼女が遊びにくる当日にわざとネタ合わせを入れてデートをつぶす
- 1日30個ブサイクいじりワードを考えさせる
売れるためなら、必要な努力なのでしょうが、相方はついていけませんでした。
努力することに疲れた人におすすめ
本書は山里さんがどのようにして芸人になり、売れることができたか、恥じらいなく書かれています。
芸人にとって、努力するさまを見せることは必ずしも格好いいものではないと前置きした上で、努力する姿を見せつけ、「天才はあきらめた」と言う山里さん。
自分のやっていることが果たして努力といえるのだろうか。
いや、努力しているうちに入らなかったのだと反省し、次に向かうガソリンになります。