斜に構えるのを卒業
若林さんは以下のことに悩んでいました。
- なぜクラスで自分だけが注射を怖くて打てないのか
- なぜ制服の第一ボタンをしめなければならないのか
- なぜ失恋を6年も引きずってしまうのか
- なぜ飲み会がこんなにも苦痛なのか
- なぜ異性に話しかけられないのか
- なぜ上司にお酌をしなければいけないのか
- なぜこんなにも毎日頭が痛くなるのか
- なぜ誰かに言われた何気ない一言に、何日も四六時中苦しみ続けなければいけないのか
そうした人間が、生きづらさを抱えながらも生きてきた軌跡を綴ります。
本書の構成
- 2015年8月から2018年4月まで雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されたエッセイ
- 書き下ろし(2018年8月発行)
最初から最後まで3年の月日がありますので、考えに幅があります。
「ナナメの夕暮れ」とは
タイトルの言葉は本書に出てきません。あとがきに、
これをもって2010年8月からの自分探しと社会探しを終了とさせていただきたい。
おそらく、
- 「ナナメ」とは斜に構えること
- 「夕暮れ」とは終わり
を意味するのではないかと思います。
つまり、「ナナメの夕暮れ」とは、
斜に構えていた若林さんが、それをやめて生きてこうと決意しただと考えられます。
ナナメをやめたきっかけ
ではどうして斜に構えることをやめたのでしょうか。
親父が死んでからは本格的に冷笑・揶揄は卒業しなければならないと思い始めた。死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。
父親の死をきっかけに、若林さんは自意識をこじらせるのではなく、
仕事や趣味、人との関わりに生きようと改めます。
その方が人生はイージーだし、
誰かの挑戦や楽しんでいる姿を冷笑している時間はもったいないからです。
何がきっかけで人は変わるのか
若林さんのイメージは、人見知りで陰湿、でした。
ですが、ゴルフにはまったり女優さんと付き合ったりと、
ナナメを捨てた若林さんは、もはや明るい人に変わったのかもしれません。
良いとか悪いではなく、人は変わっていくからです。
それは年齢によるものかもしれないし、誰かの死がきっかけかもしれない。
ただ、売れていなければ、斜に構え続けていたのではないかと思います。
売れたことで、金銭的余裕が生まれると同時に、人から実力を認められます。
余裕を持った人は、怒りが薄れ、寛容になっていくのだと、ナナメな感想を抱きました。
調べた言葉
- 厚顔無恥:あつかましくて恥を知らないこと
- 膝を打つ:急に思いついたり感心したりすること
- あくどい:ずるい
- シビア:厳しい
- 息巻く:勢いや怒りを示す
- 歯が浮く:お世辞を聞いて不快な気持ちになる
- 俗物:名誉や利益をこだわるつまらない人物
- 郷愁:過去を懐かしいと思う気持ち
- 鼻白む:気おくれした顔をする