分析も解釈もできない出来事
著者の岸さんは社会学者で、
普段は、人々の語りを聞き取るスタイルで、調査しているそうです。
ただ、本書は違います。
社会学として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。(p.7)
本書では、分析や解釈からこぼれ落ちた、断片的な出来事が描かれます。
- 飼い犬が死んだのに、インタビューを受け続ける語り手
- 同じところで泣く戦争体験者の語り
- 路上で演歌を弾く80歳の男性
- 沖縄の住宅街にあるスナックで働くフィリピン人
NHKの「ドキュメント72時間」を思い出しました。
72時間、一定の場所にカメラを設置し、そこに来る人々を取材する番組です。
駅や、定食屋、スーパーなど。先日は「駅の地下街に設定されたピアノ」でした。
どこかから人がやってきて、何かを語り、どこかへ帰っていく。
いつも通っている人かもしれないし、たまたま立ち寄っただけの人かもしれません。
その番組は、分析や解釈をしません。
通り過ぎる人の話を聞いて、終わりです。
本書も同様です。
岸さんが、人の語りや自身の生活で見つけた断片を、語ります。
生活を送る上で気づかないような、だけど確かに存在するものです。
分析や解釈ができない、こぼれ落ちていった出来事に興味がある人におすすめです。
人との距離
他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだが、たまに、人の手が恋しいときがある。(p.120)
私も一人でいることは好きですが、他人の力を借りることがよくあります。
カフェで、本を読んだり、文章を書いたりするときです。
家では集中力が続かないので、カフェへ行きます。
カフェでは、私とは接点がない人たちが、作業をしています。
勉強だったり、読書だったり、パソコン作業だったり。
作業している人たちを横目にすることで、自分も頑張ろうと奮い立ちます。
一方で、カフェに座るときは、少なくとも一つは席を開けます。
隣に人がいる席に座るのは苦手です。
他人が私の隣の席に座ってくるのも好きではありません。
知らない人が近い距離にいると、居心地の悪さを感じるからです。
他人の力を借りていながら、他人がすぐ隣に座ることを嫌います。
「カフェにいる他人」として一括りにしたものが、
「カフェに座る隣の人」として、個人的なものにぐっと近づくからでしょう。
だからといって、一人も客がいないカフェには行きませんし、個室のネットカフェでは作業できません。
これからもカフェでは、一つ席を開けて座るでしょう。
本書を読んでいると、普段考えていないことを考えてしまいます。
調べた言葉
- 称揚:ほめあげること
- 痛飲:酒を大いに飲むこと
- 暗澹:暗くて不気味なさま
- ノミ行為:競馬などで、私的に馬券を売買する行為