挨拶のいらない人間関係
主人公は50歳の女性。団地で一人暮らしです。
ある雨の日、猫がほしくなった主人公は、小学生の頃を回想します。
主人公は当時、母親と二人暮らし。猫もいました。
母はスナックで働いていて、帰りが遅いです。
主人公は放課後、家の近所の、公民館の図書室に通っていました。
主人公にとって図書室は、学校とも家とも違う、特別な場所でした。
学校という、いろいろ楽しいこともあるけど、でもやっぱり行かずにすむなら行きたくない場所と、心から愛してる母親と猫たちがいて暖かいこたつもある自分の家との間にあって、ちょっと大人になったみたいにひとりになれる場所。
社会人でいえば、職場でも家でもなく、サードプレイス的な場所。
私にとっては、昼休みに行くカフェを思い出しました。
知っている人のいない、私だけの場所。
私にとってのカフェと、主人公にとっての図書室。
違うのは、関わる他者の存在です。
私が関わるのは、店員さんだけですが、主人公には、同い年の男の子がいました。
ベンチ席に彼がいたので、近寄って、「猫は?」といきなり聞いた。私たちは挨拶をしなかった。冬休みに入ってから毎日のように顔を合わせていたから、会ってすぐ、いきなり本題から入った。
本当に仲の良い人とは、挨拶は不要なのでしょう。挨拶が本題ではないからです。
「おはようございます」「お世話になっております」「お疲れ様です」「お先に失礼します」
社会人には、挨拶は必須です。
挨拶をしないと、「あいつは挨拶ができない奴」と言われたり噂されたり、評価が下がります。
ですが、仲の良い同僚との会話では、挨拶が簡略化されています。
「おっすー」「おつかれー」「久しぶりー」など、「ー」を使う言葉をお互いに交わしています。
「そーいえばさー」などと、本題から話す人は、挨拶のいらない間柄だと、相手を信頼しているからでしょう。
挨拶は最低限のマナーである一方、簡略化されることによって信頼関係を示すリトマス紙でもあるわけです。
主人公が大人になり、同棲した男性とも、挨拶が簡略されています。
毎朝、彼のほうが先に目を覚ますので、コーヒーをいつも淹れてくれていた。だから、コーヒー入ったで、という彼の言葉がいつも、おはようの挨拶だった。
朝起きたら「おはよう」とは限らないのです。
私の場合、先輩でも同期でも後輩でも、会ってすぐ本題から入ることはしません。
簡単な挨拶から入ります。それが変わることはないでしょう。「お疲れ様です」だったり、「久しぶりー」だったり、何かしらの挨拶はします。
ただ、挨拶してこない知り合いに対して、嫌な気持ちになる必要はないのかもしれません。
突然「あのさー」と声を掛けてくる知り合いに対し、「お疲れ様くらい言えないのだろうか」と、もやもやする必要はないと気づきました。
相手は私を信頼しているゆえに、本題から入ったと考えればいいのですから。