いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『最高の任務』乗代雄介(著)の感想【最高の任務とは何か】(芥川賞候補)

最高の任務とは何か

前回読んだときの感想(2019年12月)はこちらです。

そのときも、最高の任務とは何だろうと、思っていた気がします。

しかしそこには触れずに、書きやすそうなところを選んで感想を書いています。

最近は、わからないことはわからないと書こうと、ある種の開き直り(自分の読みの甘さに正直になる)をしても良いと思うようになりました。

書きにくいところをあえて避ける書き方は、今の私にも未来の私にも良くないと思うからです。

わからないことを煙に巻くのではなく、わからないと思ったなら率直に書く。

未来の私が、再読したときに、わからなかったことに気付けたなら、良しと思えます。

ということで、「最高の任務」とは何か

私はいつだって、叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子でありたいと願ってきたのではなかったか。そして、定まらないその姿をどうにかこの目に映したくて、せっせと書いてきたのではなかったか。そういう意味では、あの日の姪っ子も、今この姪っ子も、まだまだ任務を果たしたとは言えない

「任務」が文中に出できます。

「最高の任務」を果たすのは、姪っ子(主人公)のことでしょう。

  • あの日の姪っ子:叔母と旅行した主人公
  • 今この姪っ子:家族と旅行している主人公
  • 現在:振り返って日記を書いている主人公

主人公の任務とは、「叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子」でいることだと考えられます。

「あの日の姪っ子」も「今この姪っ子」も「まだまだ任務を離したとは言えない」と、現在の主人公が書いています。

主人公が自分のことを「姪っ子」と客観的に書いていることから、現在、日記を書いてる主人公は、「任務を果たした」=「叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子」になることができたと、考えられます。

では、どこで、「叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子」になることができたのでしょうか。

叔母が一人で準備する時、私が嗅ぎ回ることを信じていたということが、そしてそれに応えられたということが、私の身を刺す。あの真っ暗闇の穴の中で「すてきな姪っ子」の姿は思い浮かべられていた

「あの真っ暗闇の穴の中」とは、叔母が主人公と旅行した洞窟の中です。

叔母が一人で、主人公と一緒に行った洞窟を再訪したとき、「姪は嗅ぎ回るだろう」と思っていたのでしょう。

姪は実際、叔母と旅行した場所を再度訪れ、嗅ぎ回りました。よって「叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子」であるという任務を果たしました。

と、ここまで書いてきましたが、実はしっくりきていません。

叔母がその目に浮かべるようなすてきな姪っ子」は、「任務」とはあっても、「最高の任務」とは書いてないからです。

「最高の任務」は、別の箇所に出てきます。

最高の任務が、あらゆる任務および活動の後ろに隠され続けているように思われるからだ。最高の任務が念頭に置いている任務であるかはわからないが、その一環であることは確かだという確信の中で動き続けること。

最高の任務が、「後ろに隠され続けているように思われるから」がひっかかります。

主人公の行動は、「後ろに隠され続けていた」ように思われません。叔母や家族によって、隠されていました。

「後ろに隠され続けていた」のは、叔母の行動です。

  • 叔母は主人公と色々な場所に出かけたが、特定の場所は避けていた
  • 叔母は主人公と一緒に行った場所に、人知れず一人で再訪していた

叔母の行動が、主人公や読者には「後ろに隠され続けている」ように見えます。

主人公の「小学五年生以来の卒業」に、叔母も関わっています。

小学5年生のひねくれていた主人公を、母は心配していました。母は主人公に、

私はあの人にあんたの教育を丸投げしちゃったから何も言えません

と言います。「あの人」とは叔母のことです。

「後ろに隠され続けている」叔母の行動は「最高の任務」であると思いました。

「最高の任務」が、(叔母による)ひねくれていた主人公の教育と言ったら、言い過ぎでしょうか。

卒業式後の主人公を、「群馬の方」とだけ言って家族が連れ出すのも、主人公には「後ろに隠され続けている」という点では、最高の任務です。