働かない理由
主人公は、30歳を過ぎて働いていません。
一緒に住む母の金で、酒を飲んでいます。
自分の金で酒を飲むより、母の金で飲む酒の方が美味いと言っています。
父は、主人公が4歳のときに亡くなり、それ以降、祖父と母との三人暮らしでした。
その祖父の三回忌で、伯母と顔を合わせます。
伯母は主人公に訊ねます。
そろそろ何とか、アルバイトでもいいしね、働いてみる気にならない? 何かやりたいことは?
働く気も、やりたいこともない主人公は、
あのう、すみません。すみませんていうのは働かないとかやりたいことがないとかっていうことについてじゃなくて、いま私がこうやって喋らせてもらっていることに関してで。(中略)ええとつまり、働く気はないけど喋る気はあるっていうことです。
そして、働かない理由について一人語りを始めます。
働けない理由ではなく、働かない理由です。
著者の田中さんも、作家になるまで一度も働いたことがなかったそうです。
主人公が田中さんの分身に思えてきます。
30歳を過ぎたニートの言い訳に興味がある人におすすめです。
挨拶しなかったから
主人公が、働く気も、やりたいこともない理由は、挨拶しなかったからです。
私がこんな生活をしてる原因といったら、世捨て人にあいさつしなかったから、せいぜいそれくらいしかないもんでお話ししたんです。
世捨て人とは、主人公が小学生のときから、通学路で見かけていた男です。
長身で、いつも俯いていたその男は、中学校の教師でした。
主人公は、その世捨て人(教師)から挨拶しないことを非難されるのではと恐れます。
図書準備室で二人きりのときも、別の話を切り出します。
では、挨拶していたら変わったのでしょうか。
挨拶するかどうかを悩んでる時点で、自意識をこじらせています。
それに、「挨拶しなかったから働かない」と言い訳されても、伯母は納得しないでしょう。
「馬鹿なこと言ってないで働きなさい」と言われるのがオチです。
主人公の語りは、母ではなく、伯母をきっかけにして始まります。
主人公は、母から働くことを強要されないのを見抜いています。
母親というものは愛情なんか全然持ってなくて、死なれるのが絶対にいや、という感覚があるだけ。だから死にたいとか死んでやるとか(中略)、私がちょっと口にしただけで母は、死ぬっていうのをやめなさい、となって夕食のおかずを奮発してくれたり酒もちゃあんと飲ませてくれたりして、次の日もお金頂戴と言うとこれも出してくれるんです。
母にとって一番辛いのは主人公の死だとわかるから、無職でいられます。
それに、死をちらつかせれば金をせびれます。
母が死んだ後、主人公がどうなるかが気になります。
調べた言葉
- 万世一系(ばんせいいっけい):永遠に同一の系統が続くこと
- 戒名(かいみょう):仏教で、死後、仏の弟子になったという意味で与えられる名前
併録されているデビュー作『冷たい水の羊』の感想はこちらです。