生きるか死ぬかの思春期
リリイ・シュシュは女性歌手です。
彼女の歌に魅せられた主人公は、彼女について語り合うネット掲示板を運営しています。
この小説は、掲示板への書き込みだけで構成されています。
例えば、
《投稿者:サティ》7月11日(火)20時44分
□サヨナラ
ニンゲンハ、トベナイ。
といった形式です。
匿名で書き込まれる内容は、曲の感想やライブ情報、リリイの過去など、自由です。
投稿者同士の恋や、特定の者に対する誹謗中傷もあります。
一方で、ネットを離れた世界では、主人公は中学生です。
そこでは壮絶な出来事が続きます。
- 仲間同士で大人から金を窃盗
- 同級生から自慰を強要
- 援助交際を強制される女子を送迎
- 同級生の女子がレイプされるところを撮影
- 同級生の女子が自殺
- 同級生をナイフで刺す
そんな生活の拠り所になるのは、リリイ・シュシュの音楽だけです。
彼女の音楽だけが、主人公にひと時の癒しを与えます。
その音楽が奪われたら、主人公は行き場を失います。
恋だの愛だのみずみずしさだの、青春特有の楽し気なものはありません。
あるのは行き場のない閉塞感。と、それでも生きているという事実です。
生きるか死ぬかの思春期に興味がある人におすすめです。
救いがないのに読む理由
救いがなく、落ち込むのがわかっていながら、読んでしまうのはなぜでしょう。
解説の重松清さんは言います。
ぼくたちの胸をえぐるほど痛い。痛いからこそ、リアル。リアルだからこそ、絶望的な筋書きの果てに、痛みとは違うなにかが胸に残る。
重松さんの言う「痛みとは違うなにか」を求めて読んでいるとしたら、その「なにか」とは一体何なのか。
残念ながら読んだ後に残るのは、行き場ない閉塞感です。
この作品に、読んだ後に残る何かを期待していません。
他人が経験した悲惨さを体験したいから読んでいます。
決して自分では体験したくはない。それでも物語を通じてなら壮絶な体験をしてみたいと思うから、手に取ります。
気分が良くなることはないし(むしろ気が滅入ります)、自分がこうならずに良かったと思うわけでもありません。
主人公たちの壮絶な体験を直視し、耳を澄ます。それだけです。
何かを学んだり得たりすることはありません。
では、何でわざわざ気分が滅入るような体験をしたいのでしょうか。
自分が経験できないような、嫉妬、憎悪、陰湿、裏切りなどのネガティブな感情の渦に飲まれたい好奇心からです。
いつもではなく、自分がマイナスの感情になっているときには敬遠しています。
気分が落ちたら、戻ってくるのに時間がかかるからです。
感情の渦に飲み込まれ気分が落ちて、ようやく上がってきたときの私に何か変化があるかというと、何も変わっていません。