胸糞悪いのか
ひどい話なのは確かです。
- 主人公と連れの男性が、夜中、バス停にいた女性を車に乗せ、車内でレイプ
- 部屋に連れて帰り、監禁し、他にも男を呼んで、輪姦
- 女性に飽き、帰る場所のない女性だとわかると、風俗店で働かせる
- 風俗の仕事ができないことを知った主人公は、女性を崖から突き落とす
なぜ、こんなにもひどい話なのに読んだかというと、鴻池留衣さんが文芸誌の特集で、『完全な遊戯』を挙げていたのが頭に残っていたからです。良い作品という意味で取り上げていたのは覚えています。
『完全な遊戯』は『戦後短編小説再発見』という講談社文芸文庫で出したシリーズに収録されています。シリーズに入るくらいですから、評価されている作品です。こんなに卑劣な話なのにです。
巻末の解説で、川村湊さんは、
「完全な遊戯」は、青春の持つ暴力性、犯罪性、そして虚無的な精神がどこまで荒廃してゆくかを明らかにしたような作品だ。
主人公たちの遊戯は、次第にエスカレートしていきます。
- バス停で女性に声を掛け車に乗せる
- 車内でレイプ
- 女性の目的地だった駅に連れていき、降ろす
- 終電を過ぎているため、駅で立ちすくむ女性を再び車に乗せる
- 女性を部屋に連れて帰る
- 他にも男を呼んで女性を輪姦
- 行く場所のない女性を風俗で働かせる
- うまく働けない女性を連れて帰る
- 女性を崖から突き落とす
「遊戯」は、女性を使い捨ての物のように扱うことで、「完全な」は、主人公たちの扱いがばれることなく終わりを迎えることだと思います。
読んで「胸糞悪い」と感じる人は多いでしょう。そうした感想が散見されていますし、主人公たちは罰を受けずに物語が終わることからも、もやもやした気持ちになるのはわかります。
ですが私は、「胸糞悪い」とは感じませんでした。
主人公たちの一連の行動は、当然好ましいはずはなく、罰せられるべきです。主人公たちの気持ちに寄り添うことはできません。
ただ、一過性の衝動を抑制できずに止まらなくなってしまう人間の行動を、小説として昇華している点に魅力を感じました。
登場人物への共感ではなく、石原慎太郎という書き手の魅力です。
私は、登場人物の誰にも寄り添うことはできませんでした。
暴行を受けた女性にすら、かわいそうと思わなかったです。精神病院を退院したと思しき女性が、夜中に一人でバス停の前に立っていたために主人公たちの遊戯にされたことを、不運だったと片付けるのは、厳しすぎるのかもしれません。
登場人物には寄り添えませんでしたが、作品に漂う不穏な雰囲気(一歩踏み外せばすべてが崩れ落ちる危うさ)は、60年以上前に書かれた作品なのに、古臭く感じませんでした。
とはいえ、今このような小説が書かれたら、世間から叩かれるだろうと思う一方で、小説を読む人口からすれば、世間の話題には上がらないのかもしれないとも思いました。