戦争の敗残者
太平洋戦争が舞台ですが、敵軍との戦闘がメインではありません。
赤道より南の半島で負傷した主人公が、野戦病院に運び込まれてからがメインです。
山裾に建てられた野戦病院には、
- 片足のない兵士
- マラリアで衰弱した青黒い顔の兵士
- 顔中に包帯を巻いた兵士
などがいます。
生きている患者は、あぁ、とか、うぅとか呻いた。私の右隣に寝ていた患者は、呻かなかった。衛生兵は脈と瞳孔を確認した後、その患者の掌の下にベニヤ版を敷いた。小刀を手にすると、人参でも切るようにして、患者の指をゴトリと切り落としていった。
死者の指は焼かれ、指の骨だけが日本の遺族に送られます。
残った死体は現地に埋められます。
戦場の最前線にありながら、戦闘から離れている病院で、兵士は飢餓や風土病、マラリアで死にます。
ただ、悲壮感だけが漂うわけではなく、
- 原住民が暮らす村に行って交流したり、
- 切り株を引っこ抜いて将棋盤を作って将棋にいそしんだりします。
ひと時の安らぎが感じられます。
しかし野戦病院の近くまで敵軍に包囲されていることを知らされたとき、動ける患者たちは病院を離れます。
果たしてこれは戦争だろうか。(中略)我々は、小銃も手榴弾も持たず、殆ど丸腰で、軍靴の底の抜けた者は裸足で、熱帯の黄色い道を、ただ歩いているだけだった。敵であるはずの米軍機も、頭上を素通りするだけで、我々は誰と戦うでもなく、一人、また一人と倒れ、朽ちていく。
主人公は、途方に暮れながらも歩き続けますが、目に入るのは悲惨な光景ばかりです。
戦争で徐々に死んでいく光景や、ひと時のやすらぎに興味がある人におすすめです。
想像と描写
戦争を体験していない著者が、想像力豊かに戦争を描いています。
「戦争を知らないのになぜ戦争を描くのか」と疑問でしたが、リアリティある描写が打ち消します。
指を火の中へ放ると、その場の空気は一変した。炎の陰影が涙を浮かべた男たちの顔面を真っ赤に染めていた。赤い涙の溜まった瞳には、欲望が宿っていた。辺りに肉の焼ける匂いが漂い始めたものだから。
飲まず食わずで歩き続けていますから、焼いた死者の指に食欲をそそられるどうしようもなさ、やるせなさは、誰も責められないでしょう。
そして、想像力で描き切る高橋さんの才能。
芥川賞の選考で、山田詠美さんと宮本輝さんが、高橋さんの才能を認めています。
惜しくも受賞には至りませんでしたが、デビュー作でお二人から才能を認められた人がいたでしょうか。
それに文庫本の帯は石原慎太郎さんが書いています。
『日曜日の人々』もそうですが、高橋さんの文章を読んでいると、自分がその世界に存在している気になります。
新人とは思えない文章力に圧倒されます。
調べた言葉
- 背嚢(はいのう):背負う長方形のかばん
- 失血:出血によって大量の血液を失うこと
- 野戦病院:戦線の傷病兵を収容、治療する病院
- 担送:担架に乗せて運ぶこと
- 貫通銃創:銃弾が身体を貫通した傷
- キニーネ:マラリアの特効薬
- 兵站(へいたん):戦場の後方にあって、兵器や食糧などの管理・補給にあたる機関
- サナトリウム:療養所
- 脊椎カリエス:脊椎の結核
- 剽軽(ひょうきん):軽率でこっけいな感じのすること
- 俘虜(ふりょ):敵軍に捕らえられた者
- 破竹:勢いが激しくとどめることができないこと
- 歩哨:警告や監視をすること
- 急峻:傾斜が急で、けわしいこと
- 堅牢:頑丈で壊れにくいこと
- 殲滅(せんめつ):残らず滅ぼすこと
- 掩体(えんたい):射撃しやすいように援護する諸設備
- 酣(たけなわ):勢いが最もさかんであること
- 譫言(うわごと):高熱にうなされたときに無意識に発することば
- 花圃(かほ):花畑
野間文芸新人賞を受賞した『日曜日の人々』の感想はこちらです。