いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

漫画『ぼくらの』鬼頭莫宏(著)の感想【鬱マンガで終わらない】

鬱マンガで終わらない

主要な登場人物が次々死ぬことから、鬱マンガとして有名です。

それに乗っかり、胸糞悪さを感じたり、鬱々したりだけでは、もったいないと思いました。

15人の少年少女は、知らない大人に誘われるがまま、退屈しのぎにゲームに参加します。

地球を襲う、未知の巨大ロボットと戦うというゲームです。

ロボットのコックピット内に入った少年少女は、相手のロボットを倒す使命を与えられます。

ただのゲームではなく、

  • 相手のロボットに負けたら、現実の地球が滅亡
  • 相手のロボットに勝ったら、現実の操縦士が死亡

どっちにしろバットエンドの展開です。

ロボットの操縦は、15人の少年少女の中から順番に回ってきます。操縦士に選ばれた瞬間、勝っても負けても死が確定します。

相手を倒しても、自分が死ぬのです。

すでにゲームに参加する契約をした以上、死からは逃れられません。

なんて不条理なと思う一方で、

私たちの人生も死が決まっていると思いました。

人生というゲームに否応なく参加させられた私たちも、いつか死ぬとわかっていながら、日々の生活を送っています

当然、『ぼくらの』の少年少女とは違います。

私たちが死ぬのは100歳くらいで、少年少女は13歳くらいで死にます。

さらに私たちは、いつか死ぬことなど思いもせず日々を過ごしています

たまに死を思うことはあっても、常に死の恐怖に付きまとわれている人は、ほとんどいないでしょう。

ゲームに参加した少年少女には、死の恐怖が常に付きまといます。

『ぼくらの』がただの鬱マンガでないと思う要因は、敵のロボットの正体です。

地球を蹂躙しようとする敵の巨大ロボット、そのコックピットには、人間がいました

敵のロボットにも操縦士がいて、彼らはパラレルワールド上の地球人でした。

それを知ってもなお、パラレルワールド上の地球の人間を敵とみなし、倒すしかない

これは一体何なんでしょう。

私が思ったのは、可能性を消去しているさまを、目に見える形で表していることです。

例えば、大学卒業後の進路について、

  • サラリーマン
  • フリーター
  • 無職
  • 大学院進学

があったとします。

もしサラリーマンで働いている人がいたら、フリーターや無職、大学院進学の選択を消去しています。

サラリーマンの自分が、

  • フリーターの自分
  • 無職の自分
  • 大学院進学した自分

を殺しています。

『ぼくらの』の登場人物たちは、他にあり得る可能性だった自分を倒しています

今の私は、フリーターや無職や大学院生であり得た自分を切り捨てて、社会人として生きています。

私も、数ある選択肢を、一つずつ殺しながら生きています。

そこに物理的な痛みは伴わないですが、可能性を減らしながら生きていると、実感しました。

だからこそ、始めるときよりも、辞めるときの方が辛いのかもしれません。

ぼくらの(1) (IKKI COMIX)

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  • 作者:鬼頭莫宏
  • 発売日: 2012/09/25
  • メディア: Kindle版