いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『本物の読書家』乗代雄介(著)の感想【ミステリー純文学】(野間文芸新人賞受賞)

ミステリー純文学

主人公は、母から3万円を貰う代わりに、老人ホームへ向かう大叔父に同行します

経路は上野駅から高萩駅までで、電車で向かいます。

主人公が、遠い親戚の大叔父から、

彼に送り届けてもらいたい

と指名されたのは、自分が読書家だからと主人公は察します。

大叔父には、

川端康成からの手紙を後世大事に持っているらしい

という噂がありました。

電車の中で、大叔父から川端康成の手紙のことを打ち明けられるとしても、主人公には興味がありませんでした。3万円貰えるなら同行しよう、というスタンスです。

主人公と大叔父が電車のボックス席に座っていると、黒いスーツの男が急に話しかけてきます

すんまへんけど、弁当食わしてもらいまっせ

崎陽軒のシウマイ弁当を食べ始めた男は、

  • 大抵の小説家の生年月日を覚えている
  • 髭がびっしりついた絶版本(主人公の愛読書と同じ)を読んでいる
  • 会話に文学的素養を含ませる

という謎の人物でした。

男の話す内容に含まれる文学的知識に、主人公は反応します。

主人公が反応できたのは、偶然知っていたからなのですが、男は、

本物の読書家ですわ

と主人公を称賛します。 

主人公は、

どんな些細なことでもいいからこの男をぎゃふんといわせてやりたい、もしくは認めてもらいたいと願っていたのかもしれなかった

と思います。 

ですが、男の関心は、主人公から大叔父にスライドします

大叔父が、川端康成の『片腕』の代作者だと示唆したからです。

川端康成からの手紙を持っているのとは話が違います。大叔父の日記には、『片腕』と同じ文章が書き綴られていました

主人公は、

わたしだけが小人物なのかもしれない

と、劣等感を抱く一方で、

どういうわけか、わたしが知らない本については男が一つも訊ねてこないのが唯一の救いで、この息苦しい席でずっと命拾いしているというのが本当のところなのだ

と安堵の気持ちもあります。

男が大叔父の日記に集中すると、主人公への関心はなくなり、

黙っといてもらえまへんか?

と、主人公に言います。

それに対し、主人公は、

そうしよう。変な空気を出さず、今までそうしてきたように、ここでも振る舞うのだ

と、自分に言い聞かせます。

  • 「今までそうしてきた」が、読書家以外のいる場所(今までの主人公)
  • 「ここでも」が、読書家がいる場所(電車内での主人公)

を示し、どこにも居場所のない(輪に入れない)主人公を表している気がしました。 

大叔父は、トイレに行く際の手伝いに、主人公ではなく男を選びます。老人ホームの同行に選んだ主人公ではなく、ボックス席で話したばかりの男を選ぶのです。

男と大叔父は、トイレから主人公の待つボックス席に戻ってきませんでした。

のちに主人公は、電車のボックス席での出来事が、偶然ではなく男に仕組まれたことではないかと察します。ただ、主人公は真相を掴もうとはしません。

大叔父上が男を選び、愚鈍なわたしが取り残され、今も何も知らないでいるという事実は、わたしをこの上なく慰めるようにも思えた

からです。

唯一、男ができないと言ったことで、主人公ができていることがありました。情景描写です。男は、

こぼれたごま塩の様を描写してみぃ言われても、何をどう書いたらええんかわからんのです

(中略)

ごまの散らばりと、あひるの火事見舞のよな歩き姿、容器の転がる音。どう書いたら小説になるのかが、わしにはどうもわかりまへんのや

と言います。

主人公は、男ができないと言ったごま塩の様子を、詳細に頭に描きます

それがなけなしの、本物の読書家に対するせめてもの抵抗に、思えてなりません。

本物の読書家

本物の読書家

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: 単行本
 

調べた言葉

  • 陥穽:わな
  • 小田原評定:意見が分かれて結論に至らない会議
  • 空谷(くうこく)の跫音(きょうおん):人けのない谷に響く足音、非常に珍しいこと
  • さもありなん:そうであっても全くおかしくない
  • 寸鉄人を刺す:短い言葉で人の急所を突く
  • 低徊(ていかい):もの思いにふけりながら行きつ戻りつすること
  • 拙速(せっそく):仕上がりが下手でもやり方が早いこと
  • 甲斐性:けなげな性質
  • 執心:ある物事に関心を持ち、それにこだわること
  • 淑女:しとやかで気品のある女性
  • 人払い:密談などをするために、他の人をその席から遠ざけること
  • 形影相弔(けいえいあいとむら)う:自分の体と影が慰め合う、孤独で頼りないさま
  • 膾炙(かいしゃ):広く世間に知れ渡ること

収録作『未熟な同感者』の感想はこちらです。