文學界1980年9月号でしか読めない
本作は、村上春樹さんの3作目の小説です。
単行本や全集にも収録されておらず、読める媒体は、「文學界」1980年9月号のみです。
私は、国会図書館で読みました。
なぜ、単行本や全集にも収録されていないかというと、村上さんの意向でしょう。
『街と、その不確かな壁』について、文學界のインタビューで、以下のように語っています。
あれはむずかしい話なんです。あのころの僕の実力ではとても歯が立たなかったんです。歯が立たないけれども何かがあるから、一応存在はしてるんだけど。あれは僕は一切表に出す気はない。
『街と、その不確かな壁』はその後、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に発展します。
村上さんは歯が立たなかったと言っていますが、40年以上経った今読んでも、古臭さを感じることなく、新鮮に読めました。
主人公は、壁に囲まれた街に入ります。
美しい川が流れ、りんごの木が繁り、獣たちがいた。人々は貧しく、古い共同住宅に住み、黒いパンとりんごを食べて暮らしていた。
街に入るには、自分の影を切り離す必要があるので、主人公は影を街の外に置いてきます。
街に入った主人公は、老人から話を聞きます。
狭い街だったが、隅々にまで活気が充ちておってね……。しかし街が影を追い払った時に半数以上の人間がこの街を出ていった。街に残ったものは失うべきもののない人間や、常に失いつづけてきた人間や、失うことを恐れぬ人間だけだった
街の中に影がいた時代もあった、ということでしょう。
ですが、どこかのタイミングで、街が影を追い払った時から、街に活気がなくなってしまったようです。
では、影とは一体何でしょうか。
影は、壁の外にいる人間にはあり、壁の中にいる人間にはありません。
老人によると、壁の中にいる人間は、
- 失うべきもののない
- 常に失いつづけてきた
- 失うことを恐れぬ
ですので、逆説的に、壁の外にいる人間には、
- 失うべきものがある
- 失いつづけてはいない
- 失うことを恐れる
要素があることになります。
主人公は、仲良かった女性が壁の中にいることを知って、壁の中に入ります。
主人公とその女性は、壁の外で出会いました。
その女性は、
本当の私が生きているのは、その壁に囲まれた街の中
と言います。
十八年かかったわ、その街を見つけだすのに。そして本当の私をみつけだすのに……
壁の中にいる女性が本当の女性で、壁の外にいる女性は影のようです。
つまり、女性は、影を切り離して壁の中に入ったわけです。
壁の外にいる女性は死にましたが、壁の中にいる女性は生きていました。
主人公から切り離された影は言います。
この街で本当に生きているのは獣と川だけだ。
壁の中にいる女性も老人も、生きてはいないことになります。
主人公は言います。
この街のどこに意味がある。生が二つに分離され、暗い心が図書館の書庫に押しこまれている。
影と分離された直後は生きているようですが、しばらくしたら影は死に、暗い心として、図書館の倉庫に押しこまれるのでしょう。
影とは、人間の暗い心です。
影を切り離して残った方は、壁の中に存在してはいますが、それを生きているとは言えないようです。
村上さんがインタビューで語ったように、むずかしい話でした。
ただ、時代に風化されていない、読み応えのある小説でした。