いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『試験勉強という名の知的冒険』富田一彦(著)の感想【学力とは抽象化できる力】

学力とは抽象化できる力

富田さんは、代々木ゼミナールの英語講師です。

主に東大英語を担当しており、富田さんも東大出身です。

本書は、英語を読めなくても読み進めることができます

本書は「試験」を受けようとしているすべての人々、そして「試験問題」を作成するすべての人々、さらにはその解き方を指導し、場合によっては受験生の成長を見守る人々に向けられたものである。

私は、試験を受けようとしていないし、試験問題を作成していないし、解き方を指導していないし、受験生の成長を見守っていません。それでも本書を楽しめました。

なぜかというと、試験勉強を経験しているからです。

ですが、試験勉強しているとき、出題者が何を考えているかと、私は思ったこともありませんでした。

問題は、野原に咲いている花ではない出題者という人間がいて、その人物がこちらの動きを読みながら手がかりと雑音を設定しているのだ

私は、問題を野原に咲いている花のように思っていました。問題を当然そこにあるものとしか考えていませんでした。

雑音に惑わされず、手がかりを見つけ、問題に正解できる人間に、出題者は合格(入学)してほしいのでしょう。

誰かに言われる前に自分でやり方を思いつくことができるようになるきっかけを与えることが本書の狙いである。

受験勉強だけでなく、仕事にも通じる考え方です。

何かを無条件に信じることはすなわち思考停止を意味する。その人物がもし知的であり続けたいと願うのなら、それだけはやめなくてはならない。それがどのような権威のある書物であっても、どれほど優れた人格者の発言であっても、教祖の言葉であっても、もちろん私の言葉であってもだ。

誰かの言いなりではなく、自分で考えて、やり方を思いついてほしい。富田さんが言いたいのはそういうことだと捉えました。

私は試験勉強をしていたとき、何度も同じ問題を解き、パターンを暗記していました。

試験でも同じ問題が出れば解けましたが、角度をひねられた問題だと途端に頭が真っ白になりました。

範囲が狭い学校の期末試験ではまずまずの点数を取れても、範囲が広い模擬試験で点数が取れなかった理由がわかりました。私は知ってる問題しか解けなかったのです。

では、知ってる問題をもっと増やせば点数は上がったのでしょうか。

確かに点数は上がったでしょう。しかしそれっきりです。試験勉強はできても頭は良くないタイプの人間です。

「学力」とは「抽象化できる力のこと」である、と私は思う。そして学力を向上させるというのは、「抽象化の次元を変えて物事が見られる」ようになることなのだ。(中略)その場の状況全体をよく見比べて必要にして十分な「抽象化の基準」を見つけられる臨機応変さこそ、「学力」の正体であると私は考える。

私が知ってる問題しか試験で解けなかったのは、抽象化できる力がなかったからだとわかりました。

知ってる問題を抽象化し、他のパターンにも応用することができれば、解ける問題の幅は広がったのでしょう。

抽象化する力は学力だけでなく、仕事にも応用できると考えました。

仕事に取り組むとき、過去の仕事内容との共通項を考えることから始めれば、ゼロから唸って考えるより楽だと思いました。共通項を()でくくる、数学の因数分解のようですね。