他人の視線は偽造
感想①はこちらです。
会社から、
- 2000日休んでください(無給)
- 2000日休んだ後の仕事はありません(実質クビ)
と言われて、思索にふける余裕がありますか。
私にはありません。
金銭的不安から、真っ先に次の仕事を探すでしょう。
上田さんには余裕があります。
金銭的余裕です。最低限暮らせるお金を稼げます。
上田さんの方針は、
運動をして規則正しい生活をする。一日の最後に行動を反省する。図書館に通って本を読む。週に一度、大喜利の回答を考えて最低限の金を稼ぐ。
金銭的余裕があると、思索にふけることもできます。
その思索が面白いです。
例えば、他人の視線について。
おまえが他人の視線だと思っているものはおまえの視線だ。おまえの視線は、おまえの視線だという理由では束縛の力を持てないために、他人を偽造している。
「他人は人のことなんて気にしていないから、自分の好きなことをすればいい」
よく耳にする言葉ですが、実行は難しいです。
私は世間体を気にしてしまいます。
上田さんに言わせれば、世間体は存在しないのでしょう。
自分だけでは支えられないから、世間体という言葉を借りてるにすぎません。
本当は、仕事を辞めてもしばらくは生きていけます。
私が仕事を辞めることは、他人にはどうしようもできません。
仕事を辞めたいのに辞めないのは、どうしてなのでしょうか。
世間体が悪いから無職が嫌なのではなく、
無職でいる自分が嫌だから働いている気がします。
貯金残高が減っていくのを見たくありません。
上田さんのように最低限の金を稼げれば、仕事を辞められるかもしれません。
- 収入>支出
が重要です。
支出以上の収入を得るには、今の仕事を続けるのがコスパ最高です。
私は世間体の名を借りて、退職のブレーキを踏んでいます。
また、自分を変えることについて。
自分を変えようとすることは、古い自分を殺そうとすることで、基本的には血なまぐさい発想なのだと思う。(中略)自分を変えたいと言うとき、自分を見つめながら自分を殺そうとしており、当然、殺すことが難しくなる。
古い自分を殺すことは悪なのでしょうか。
自分を変えたいと思うとき、
- 理想(新しい自分):(例)会社で働かなくても収入がある
- 現実(古い自分):(例)会社で働かないと収入がない
があります。
私は、新しい自分に変われるなら、古い自分を殺していいと思っています。
しかし、新しい自分になるために何をしてますか。
と問われると、自信を持って答えることができません。
ブログを少々……と言ったら、「え?」と拍子抜けされるでしょう。
一方で、現実(古い自分)を殺さないようにしてるのかもしれません。
会社で働くのは嫌ですが、働くことを認識しているときは、嫌ではありません。
- 月給がある
- ボーナスもある
- 有給休暇が使える
- 親族が安心する
現状はさほど悪くありません。むしろ良いと言えます。
もしかしたら、自分を変えたくないのかもしれません。