選評を読んで
「おわりのそこみえ」は、「終わりの底見え」と書けます。
終わりの底が見えたとき、希望なのか、絶望なのか。
タイトルがひらがなの理由は、わかりません。
ただ、ひらがなだと、柔らかい印象を受けます。
漢字だったら、怖い印象を受けます。
では怖い作品なのかと言われたら、そんなこともありませんでした。
当事者だったら怖いかもしれませんが、読んでる分にはユーモアのある作品でした。
主人公は、25歳の女性でフリーターです。
日給7500円のバイトに、2000円のタクシー代を払って出勤することもあります。
選考委員の島本理生さんは、
主人公が作ったケーキの話をしているうちに両親が絶望的に譲り合わず喧嘩に発展するところなど、他者を愛することと協調し生きることは、実はまったく似て非なるものであるという現実を繰り返し書いているところが、個人的には最も印象に残った。
「主人公が作ったケーキの話をしているうちに両親が絶望的に譲り合わず喧嘩に発展するところ」は、思わず笑ってしまいました。
主人公が好きで作ったケーキを、父親が食べないことで、母親が失礼だと言い、それに父親がキレるという展開の描き方が、上手いです。
「他者を愛することと協調し生きることは、実はまったく似て非なるものであるという現実を繰り返し書いている」とは、どういうことでしょうか。
- 他者を愛する:父は主人公(娘)を愛している
- 協調し生きる:主人公(娘)の作ったケーキを食べなくなくても食べる
父は主人公を愛してますが、主人公の作ったケーキを嫌々食べます。
協調して生きるなら、積極的に食べ、美味しいと言うべきでしょう。
しかし父親にはできません。
父親だけではありません。
主人公も、せっかくできた友達を裏切ります。
主人公は、友達の彼氏と浮気をしてしまいます。友達のことを愛していたのに。
協調して生きるなら、友達の彼氏と浮気すべきではないでしょう。
しかし主人公にはできません。
人がちゃんと正しいことをできるのは、健康なときだけ。みんながしている善行も、それは元気だからできるんだよ。
主人公は健康とは言えないでしょう。
- 両親不仲の実家暮らし
- 借金
- バイトはクビ
体力的には健康かもしれませんが、精神的には健康と言えません。
ただ、借金が母親にバレて、母親が代わりに借金を返済したときこそ、主人公が立ち直るきっかけだったと思います。
それなのに、主人公は立ち直れませんでした。
むしろ当時よりも借金額が多くなってしまいました。
果たしてどういうことか。
島本理生さんは、
その瞬間だけの救いと許しを求めてそれ以外の全てを粗末にする主人公の行動の破綻ぶり
町田康さんは、
人間の奥底にあるどうしたって取り除けない狂いであり、或いは、人間の瞬間のマジである
と書いてます。
主人公は狂ってます。
主人公だけではなく、父親も母親も、主人公を長年ストーカーしてる同級生も、狂ってます。
狂ってますけど、嫌いにはなれません。
愛すべきキャラクターとすら思えます。
一つだけ要望が。主人公には加代子という同級生がいて、加代子の家族は、主人公家族に嫌がらせをしてきました。
お父さんは酔いが回ると加代子の家の悪口を言った。関西弁で信じられないくらい汚い言葉で。それを受けて、お母さんに火がついた。加代子の母親がどれだけ卑しく性根が腐っているかということをエピソードを交えて話した。
この場面を、説明でなく会話のシーンとして読みたかったです。絶対面白く描ける方だと思ったので。