障害のある子が産まれたら
主人公は27歳の男性で、大学受験予備校の講師をしています。
アフリカ旅行をしたいと考えており、その冒険記を出版することを夢見てます。
主人公は結婚してから、家族の檻の中に閉じ込められてると感じています。
結婚以来、おれはその檻のなかにいるのだが、まだ檻の蓋はひらいているようだった。しかし生れてくる子供がその蓋をガチリとおろしてしまうわけだ
子どもが生まれたら、檻の中から出られません。
アフリカ旅行は夢に終わってしまいます。
主人公の妻が出産し、子どもが生まれます。
病院から、赤ちゃんに異常があることを告げられます。
赤ちゃんは、頭部に異常を持って生まれてきました。
おれはなんとしても、赤んぼうの怪物から逃げきらねばならないぞ
と、主人公は考えます。
子どもが生まれただけでも、檻に閉じ込められるのに、障害を持った子どもなんて、主人公の手には負えません。
アフリカ旅行が、夢のまた夢になります。
医者から、赤ちゃんの回復を願ってないのかと聞かれた主人公は、
手術をしても、正常な子供に育つみこみが希薄なのでしたら……
と答えます。
主人公は病院を離れ、赤ちゃんが衰弱死することを待ちます。
自宅を離れ、大学時代の女友達の家に寝泊まりします。酒を飲み、身体の関係を持ちます。
主人公はまた別の女友達に、
最大の心配は、もしかして、異常児が衰弱死しないで、ぐんぐん育ちはしないかということでしょう?
と言われます。
主人公は痛いところを突かれました。
出産した妻は、赤ちゃんの異常を知りません。
赤ちゃんの異常を知った人たち(妻の母や大学時代の女友達)は、赤ちゃんの死に否定的ではありません。
主人公は、赤ちゃんに手術をさせないため、退院させます。
退院した赤ちゃんを、女友達の知り合いの医者に頼んで、死なせてもらおうとします。
医者に赤ちゃんを引き渡した後、主人公はバーに行きます。
バーの店主は、主人公の7年前の知り合いでした。
主人公は鳥(バード)と呼ばれていました。バーの店主は、
ニ十歳の鳥(バード)は、あらゆる種類の恐怖心から自由な男でね。鳥が恐怖におそわれているところなど見たこともなかったのに
と言います。
いまのあなたは、恐怖心にとても敏感そうだなあ。恐がって尻っ尾をまいている感じだなあ
と、主人公を挑発するように言います。
店主にとって、昔の主人公は憧れだったのでしょう。
憧れだった主人公が、今は弱そうで、別人に見えてしまう。
主人公は、自分が逃げていることを自覚しています。
女友達は、事情を知った上で、主人公に協力しています。
しかし、事情を知らないバーの店主は、意気消沈してる主人公を逃しません。
仮に、異常を持って生まれた赤ちゃんの存在を知ったとしても、店主は変わらなかったかもしれません。
主人公は、バーの店主との会話の後、ウイスキーを飲みますが、すぐに吐いてしまいます。
おれは赤んぼうの怪物から、恥しらずなことを無数につみ重ねて逃れながら、いったいなにをまもろうとしたのか?
主人公が守ろうとしたものは、何もありませんでした。
赤んぼうの怪物から逃げだすかわりに、正面から立ちむかう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいはかれをひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。
- 自分の手で殺す
- 自分の手で育てる
この二択を、主人公はわかってました。しかし、認める勇気がありませんでした。
7年ぶりに旧友(バーの店主)に会わなければ、主人公は決意できなかったでしょう。
旧友の再会で、7年前の主人公がどうだったかを、主人公自身に呼び起こしたのだと思います。
逃げ回ってる自分ではいけないと、事情を知らない旧友が、主人公に気付かせてくれました。
女友達は、赤ちゃんの手術に否定的です。
手術をして赤ちゃんを救っても、植物的な存在でしかないなら、主人公も赤ちゃんも不幸になるだけだと言います。
まっとうな意見ではあります。それに対して主人公は、
それはぼく自身のためだ。ぼくが逃げまわりつづける男であることを止めるためだ
と言います。
手術をして植物的な存在でしかなくても、赤ちゃんのためではなく、主人公自身のため。
生まれてきた赤ちゃんのためではなく自分自身のため、というのが良いです。
自分の責任で、赤ちゃんを殺すのではなく育てるという決意。
仮に、自分の手で赤ちゃんを殺す選択だったとしても、正面から立ち向かう点では、逃げていません。
育てる決意に至ったのは、旧友との再会だけではないと思います。
- 主人公がかつて、旧友(バーの店主)を見棄ててしまったこと
- 妻が、名前を付けるなら旧友(バーの店主)の名を考えていたこと
も関係してると考えられます。
ただの旧友ではありません。