体の傷と心の傷を癒す一人旅
総合商社に勤める34歳の主人公は、足柄の民宿へ、湯治に行きます。
少年時代に、鉄棒から落ちたときの膝の古傷を癒すためです。
妻は会社を休めなかったので、主人公は一人で旅に出ます。
湯治に行くことにしたのは、同僚に勧められたからでした。
湯治のコツは、能動的に何かをしないことだ
という同僚のアドバイスに従い、民宿での主人公は、
何も予定を入れず、縁側に座ってぼんやりと前庭を眺めて過ごしていた。
民宿には、経営者の老夫婦の長男夫婦が住んでいました。
主人公が縁側にいると、長男夫婦の赤ちゃんの姿が見えます。
活発な赤子で、ハイハイをして、奥さんを追いかけまわしている。ときに脚折テーブルに手をついて伝い歩きをし、しかしすぐにへたり込む。
もう少しで歩ける様子を見て、主人公は奥さんに、
今月中にはきっと一人で歩けるようになりますよ
と言ったためか、奥さんに、
お子さんはいま何歳なんですか?
と聞かれます。
主人公は嘘を付きます。
小学四年になりますね、最近じゃろくに口も利いてくれませんよ
主人公は9年前、一歳に満たない娘を亡くしました。
娘の突然死について、医師からは、誰のせいでもないと言われます。
怪我と哀しみは似ている。どちらも日に日に治癒していく。怪我は内服薬や外用薬で治り、哀しみは日日薬で治る。してみると、心の古傷が疼く、なんてこともあるのだろうか――
歩行のままならない長男夫婦の赤ちゃんが、突然死した娘とリンクすることで、主人公の心の古傷が疼いている気がします。
5泊6日の湯治を終え、
脚の古傷は湯治によって良くなった、と思うことにする。
主人公は、気の持ちようだという気になります。
帰り際、外から家の中にいる息子夫婦の赤ちゃんの姿が見えます。
テーブルの端から、ぱっと両手を離して、二歩進み、へたり込むかと思ったら、次の一歩を進んだ。その後は、何に掴まることもなく、窓際にいる奥さんの所まで歩ききった。
歩行のままならなかった赤ちゃんが、歩けるようになります。
それを見た主人公は、しばらく次の一歩を踏み出せません。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。彼女はそういう時間の中に生きているのだ。
自分の娘もそうなるはずだったのに、と主人公は思っているのかもしれません。
息子夫婦の赤ちゃんの、ままならない歩行で疼いた心の傷は、赤ちゃんが歩けるようになったことで、癒えたのでしょうか。
体の傷は治りやすく、心の傷は治りにくいと聞いたことがあります。
本当は、体の傷も心の傷も完全に癒えることはないのかもしれません。
だからこそ、膝の古傷も心の古傷も良くなったと思うことにして、一歩踏み出していくしかないのだと思います。