いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『朝顔の日』高橋弘希(著)の感想【死に近づく妻を受け入れる】(芥川賞候補)

死に近づく妻を受け入れる

時代は戦時中、主人公の妻は、若くしてTB(肺結核)にかかります。

高台にある病院に入院しており、医師は、安静が第一だと言います。

安静というのは、身体も、精神も、静けさを保つことです。安静と善き眠り、栄養と清浄なる空気。生物本来の力を高め、TB菌を抑え込むわけですな。

死に近づく妻を目の前に、夫である主人公は、感情的になりません。泣いたり、叫んだりしません。

誰にも見えない場所で、涙を流しているかもしれませんが、そうした描写はありません(誰にも見えない場所ですから、読者に見えないのは当然です)。

だからといって、主人公が冷酷だとは思いません

なぜなら、ひそやかで、淡々としているように見えても、妻への愛情を確かに感じられるからです。ゆっくりしたペースで一緒に散歩したり、お土産を買ったり、妻が食べたいと言った卵焼きを焼いたりします。

妻の肺に空気を注入する施術の際、主人公は、

幾度も処置台から目を背けようとするのだが、何か見えない力に頭を固定され、一瞬たりとも瞳を逸らすことができない。微動だにできず、呼吸すら殆ど忘れ、脂汗だけが沸々と額に吹き出していった

妻の痛みが主人公に伝わり、夫婦で痛みを共有しています。

妻から何か訴えているような瞳で見つめられると、

動揺してはいけないと思うのだが、処置台から妻に瞳を覗き込まれ、平静を保てなくなる。再び医師が気胸針を押し込むと、妻は眉間に皺を寄せ、また身体を震わせた。

静謐に描かれているからこそ、読者は、主人公や妻の感情を受け取ることができます。

仮に、医師から「TB(結核)です」と宣告されたとして、夫婦が感情を爆発させ、泣き崩れているとしたら、読者が入る隙はありません。登場人物が感情をさらけ出している分だけ、読者は冷めてしまいます。

その点、この作品はひっそりしています。

物語に大きな波はありませんが、患者は日に日に亡くなっています

病院内で交流を持った患者に、次いつ会えるかはわかりません。後日、あの患者は死んだという知らせを、人から聞くことが多いです。

妻も例外ではなく、確実に死に近づいています。

死に近づく妻を現実にして、主人公の落ち着きは異様です。友人が死に、幼い患者が死に、身近に死が存在する環境だと、妻だけが助かるとは思えないのかもしれません

ですが主人公は、諦めたり、なげやりになったりはしていません。

――静かに、現実を受け入れる。

達観しているように見えます。

なぜ、そこまで落ち着いていられるのでしょう。

医師の言うところの「安静」=「身体も、精神も、静けさを保つこと」が、死が当たり前の環境によって、主人公は達している気がします。

朝顔の日

朝顔の日

  • 作者:高橋 弘希
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: 単行本
 

調べた言葉

  • 咳嗽(がいそう):せき
  • 池畔(ちはん):池のほとり
  • 言下(げんか):相手の言葉が終わった直後
  • 卓行(たくこう):薬などのすぐれた効き目
  • 焦土:焼けて跡形もなくなった土地