売春島に打ち上げられた男
ボギーとは、主人公の地元の同級生です。保木のあだ名がボギーです。
ボギーは、十九の夏に死んだ。溺死だった。九月の終わり、W島の海岸に打ち上げられたのだ。そこは、地元の売春島だと噂される小さな島だった。
なぜ、ボギーが溺死したのかはわかりません。
ボギーは、ただ一人の女性を愛し続けていた男でした。それなのに、どうして売春島に流されていたのか……。
34歳の主人公は結婚していますが、仕事が終わっても、すぐに帰宅しません。
漫画喫茶に行ったり、同級生の友人宅に行ったりして、夜遅くに帰宅します。
主人公は、妻に不倫されていました。妻の不倫が、家に帰れなくなった原因かは不明です。
嫉妬も湧き起らなかった。何となく、貸しをひとつ作ったなと感じただけだった。
妻の不倫で貸し一つ。妻の不倫後も、夫婦生活は続きます。
二人は冷蔵庫に貼ったメモだけで会話を済ませてきたようなものだ。(中略)業務連絡で成り立った生活。それでも不思議と壊れない生活。
主人公も妻も働いており、子どもがいるわけでもありません。ですが、夫婦生活は破綻していません。
いや、破綻していないわけではありません。お互いに目を向けていないから、破綻していないように見えているだけな気がします。
主人公は、妻と妻の母親とで、温泉旅行に行くことになっていました。
ですが、主人公は気が向きません。
夜中、ベッドに入ったとき、妻に「昔のことをまだ怒っているのか」と聞かれます。
怒っていないと正直に答えた。ただ、混乱しているのだと背中合わせに言う。
混乱しているがゆえの、仕事帰りの漫画喫茶や友人宅なのかもしれません。
問題を直視せず、先延ばしにしている態度の現れです。
主人公の友人は、二回離婚して、今はぼろアパートで一人暮らししています。
学生時代、主人公、ボギー、友人の3人でつるんでいました。
3人で、売春島への船着き場まで行ったこともあります。売春島へは渡りませんでした。
ボギーの命日近く、ボギーの供養のために、主人公と友人は売春島に行くことになります。
タイトルの「愛しているか」は何を示しているのでしょうか。
作中で「愛している」のは、ボギーだけです。
主人公も、友人も、かつては愛した相手がいたのかもしれませんが、少なくとも今はいません。
ボギーは、学生時代から、一人の女性を一途に愛していました。
いい女ではない。誰にでも笑いかけ、誰とでも寝た。ボギーは相手にされなかったものの、中学時代の同級生が何人も彼女とやった。
なぜ、ボギーはそのような女性を愛し続けていたのか、わかりません。
そんなボギーのことを、主人公と友人は「神々しい」と表現します。
いい女ではない女性を、一途に愛し続けることが、神々しいのかどうか、私にはわかりません。
いい女かどうかは関係なく、一人の女性を愛し続けることが、神々しいことを示しているのかもしれません。
「愛しているか」は、主人公や友人から、死んだボギーへの問いかけのように感じます。
「ボギー、(今でもその子を)愛しているか」と。
ボギーはどうして売春島に流されてしまったのでしょうか。
答えが出ない問いを、主人公と友人は考え続けます。
海でも見ていたのだろう
と、主人公と友人は結論付けました。
自暴自棄で海に飛び込んだのではなく、腹いせに売春島に渡ったのでもなく、海を見ていて波にさらわれたのが、一人の女性を愛し続けたボギーに合っている気がしました。