面白いが実態をつかめない
主人公は、男に借金を背負わされたため、インドで日本語教師をします。
資格も経験もありません。
インドのチェンナイで、若いIT技術者たちに日本語を教えていると、百年に一度の大洪水が起きました。
橋の上に積み上げられる泥。
百年ぶりの洪水ということは、それは一世紀にわたって川に抱きしめられたガラクタやら何やら、あらゆる有象無象がいま陽の目を見たということだ。都会のドブ川の、とほうもなき底の底まで攪拌され押しあいへしあい地上に捧げられた百年泥。
泥の中からは、
- ウイスキーボトル
- 人魚のミイラ
- 大阪万博のコイン
- 行方不明になっていた人間
などが出てきます。
出てきたものにつられて、それにまつわる記憶も引っ張り出されます。
その記憶の、何が本当で何が嘘かは、わかりません。
何を言いたいのかも、わかりません。
ただ、読んでて面白い。それだけは確かです。
綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったのかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むだけの付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ。
要するに、「○○しなかった(できなかった)もの」が、百年泥ということでしょう。
そうだとして、それが一体何なのか、私にはわかりませんでした。
私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だ。
なぜ、話されなかった言葉や、あったかもしれない言葉が大事なのでしょうか。
どこかにもうひとつの日曜日があるんじゃないか、そんな思いがうかぶ。私がすごした日曜日と、私がすごさなかった日曜日。両方とも同じ日曜日、どちらが本物とか正しいとかいうのではない。
話されなかった言葉やあったかもしれない言葉を重視するのであれば、過ごさなかった日曜日を重視しそうなものですが、そうではないようです。
わからないことが多い小説でした。
○○しなかった(できなかった)ものが百年泥で、それを重視していることはわかります。ただ、「だから何?」という感じです。
面白く読んだものの、何か残るものがあったかというと、わかりませんでした。
面白く読めたらそれでいい、と言われれば、確かにそうではあります。
言うならば、記憶に残りにくい作品――
これも、○○しなかった(できなかった)ものに当てはまるので、百年泥と言えるかもしれません。
やはりそれも、「だから何?」と問うたら、頭をひねるしかありません。
○○しなかった(できなかった)ものを重視することで、それらしい感じは出るのですが、私は本作の実態をつかめませんでした。
調べた言葉
- 中洲:川の中の土砂が堆積して島のようになっている所
- かたじけない:ありがたい
- 如才ない:気が利いて抜かりがない
- 睥睨(へいげい):あたりをにらみつけて勢いを示すこと
- 蹌踉(そうろう):足取りがしっかりしていないさま
- あまつさえ:そのうえに
- 遺憾なく:十分に
- 愚にもつかぬ:ばかばかしくて取るに足らない
- 遁走(とんそう):逃げ走ること
- 凄愴(せいそう):悲しく痛ましいこと
- 係累(けいるい):面倒を見なくてはならない家族
- 女出入り:女性関係のごたごた