この世界には道化のみ似つかわしい
主人公は、さなぎの形の拘束具に閉じ込められています。
首から上は外に出ていますが、身体は拘束されています。よって、糞尿垂れ流しです。
やっとのことで解放された主人公は、工場で揚羽(アゲハ)蝶を作るよう命じられます。
工場で黙々と作業していると、突然、監督官に殴られます。
理不尽さを訴えた主人公に、監督官は言います。
殴りたくなったら、是が非でも殴らなくてはいけないのだ。自由のように見えるが自由ではない。殴りたくなったら些かの猶予もなしで、何事も考慮せずに、殴らねばならないのだから
理由もわからず揚羽蝶を作り続ける主人公と、殴りたくなったら殴らねばならない監督官。
殴られ続けることに嫌気がさしたのか、道化になった主人公は、監督官に言います。
お偉い旦那様方よ! 私は道化のアルレッキーノと申します!
主人公は、道化を演じることで、工場での蝶作りからも、監督官に殴られることからも、逃れることができました。
次第に道化になる人数が増え、道化による劇団の旗揚げ公演が行われます。
道化に飽き始めた主人公は、別の仕事を与えられます。
機械工たちの作った蝶を、独断で生きているか死んでいるか決める
という仕事です。生死を書いた報告書を、役所に提出します。
機械で作った蝶なので生きているはずないのですが、この仕事をしていれば、監督官には殴られず、道化を演じる必要もありません。
ですが、主人公の中から道化のアルレッキーノが現れます。
夢見ているようで起きていて、起きているようで夢見ている。お芝居をしてるようで現実に生きていて、その逆も然り。嘘ばかり吐いているようで真実を語っていて、その逆もまた然り。 これが私たち道化の生き方でしてね。
この道化の言葉が、作品を表しているように感じました。
読んでいる間、
- 夢なのか、芝居なのか、嘘なのか
と思う一方で、
- 起きている、現実だ、真実だ
と思います。それが再び、
- 夢だ、芝居だ、嘘だ
と反転します。
主人公は結論付けます。
地下工場、模造の蝶、監督官による殴打、地中に広がる街、どこかに正しさを見出そうとするなら、錯乱に至るのは必定である。この世界には道化のみ似つかわしい。
読者である私も、混乱します。混乱しながらも面白く、最後まで読めてしまいます。
気になるのは、本作は一体、何を表しているのか、です。
例えば、現実世界も、「道化のみが似つかわしい」とします。
作品の世界では、さなぎから解放された人間は、工場で機械の揚羽蝶を作り続けます。何のために作っているかもわからないまま、監督官に理不尽に殴られます。
道化にならなかった者は、その境遇から抜け出せません。来る日も来る日も蝶を作っては、監督官に殴られます。
一方で、監督官の人生も同様でしょう。
殴りたくなったら人を殴る。殴りたいと思ったら、必ず殴らなければなりません。この苦しみは、殴られている側にはわかりません。
当然、道化にならなかった者は、監督者の境遇から抜け出せません。
工場で作業する者も、監督する者も、何のためにやっているかをわからずに(仮にわかっていても疑問を抱かずに、疑問を抱いても解決せずに)、続けています。
自由気ままに振る舞う道化が、一番楽しそうには見えます。
- 蝶を作る者を「労働者」
- 監督する者を「管理者」
- 道化を「自由人、フリーランス」
とすると、描かれていない者がいます。
蝶を作る規則を作り出した者(経営者)です。
どんな理由や目的で、
- 機械で蝶を作ること
- 蝶を作る者を殴ること
を命じたのか、その視点が気になりました。
おそらく、優雅に世界を見下ろしている存在でしょう。その者からしたら、思い通りに動かない道化の存在は、予想外で面白いかもしれません。
ですが、動く意思のない者は、見ていても楽しくないでしょう。さなぎの拘束具から出てこないと決めてしまった人間に、手を下すことはできません。
この世界には道化のみ似つかわしい。この世界から身を閉ざすことを除けば、といった感じでしょうか。
調べた言葉
- 頑是(がんぜ)ない:幼くてものの是非がわからないさま
- 老僕:年を取った下男
- 挙措(きょそ):立ち振る舞い
- エチュード:練習曲
- 戯画化:滑稽に描き出すこと
- 無比:他に比べるものがないこと
- 組んず解れつ:組み合ったり離れたりしながら争うさま
- 奇矯:言動が変わっていること
- 屯(とん)す:集まっている
- 七面倒:ひどく面倒なさま
- 躍起:焦ってむきになること