吃音症の王様の原稿読み
作品の時代は1930年後半、第二次世界大戦の直前です。
主人公は、イギリスの王位継承者の弟です。王である父の代わりに演説を行いましたが、吃音でうまく話せません。
妻は、主人公の吃音の改善のため、治療できる人間を探しますが、主人公の吃音は良くなりません。
ある日、妻の勧めで、主人公はある言語聴覚士と出会います。その言語聴覚士は、主人公が王族関係者と知りつつも、対等な関係を求めます。主人公にドクターと呼ばせず、名前で呼ぶよう言います。
言語聴覚士は、主人公に、ヘッドホンで爆音で音楽を聴かせ、朗読させます。主人公は、馬鹿げていると途中で投げ出すのですが、言語聴覚士からもらった録音されたレコードでは、主人公の流暢な朗読が流れていました。
自分の声が聞こえなければ、主人公は吃音にはなりません。それならば、朗読するときは、ヘッドホンで爆音の音楽を聴きながらやればいいと私は思いましたが、一度限りでした。
また、主人公が怒りの感情にまかせて叫ぶときは、どもりません。言語聴覚士の物言いに腹が立ったときの言葉は、スムーズに出てきます。
父の死後、兄が王に即位しますが、兄は周囲に望まれない結婚(離婚歴があり、現在別の男性と婚姻関係のある女性)を実行するため、王を退位します。
兄の後、王を継承した主人公は、言語聴覚士のサポートを受けながら、吃音の治療に励みます。
そしてイギリスは、ナチスドイツの侵攻を受けて宣戦布告をし、第二次世界大戦が始まります。主人公は国民へ向けてスピーチをします。
主人公のスピーチは、ところどころどもりながらも、力強いメッセージを国民に与えました。
主人公の吃音症が治って流暢にスピーチできるという展開ではないのが、良かったです。
ただ、ストーリーを一言で言ってしまえば、「吃音症の王様が、言語聴覚士の力を借り、与えられた原稿で、国民の心を動かすスピーチを行った」です。
何か物足りなさがありました。
主人公は、怒りの感情に任せて自分の言葉で叫ぶとき、吃音ではなくなります。
ならば、最後の言葉は、主人公の感情から発せられる言葉が良かったです。スピーチ原稿に感情が乗っていないわけではないんですが。
例えば、
- 与えられた原稿を主人公が赤入れ
- 全く違う原稿が出来上がる
- 周りに確認して了承を得る(もしくは了承を得られなくて強行)
という展開です。
もちろん、スピーチを誰が言うか、どのように言うかは重要でしょう。ですが、人々の心を打つスピーチの原稿を書いた人間が出てこないことや、重要視されていないことに、違和感がありました。
原稿を話した人が偉いのではなくて、偉い人が原稿を話すのだとしても、原稿あってのスピーチだと思いました。
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