記憶や時間について語り合う大学生
大学生の主人公は、映画を撮るため、車で鳥取を目指しています。
- 映画の舞台は鳥取砂丘
- 映画の内容は、世界が終わるときに残った4人の会話劇
主人公の他に、男性2名、女性1名います。歳は違いますが全員大学生です。
横浜を出発して、静岡で一泊、大阪で一泊、鳥取で一泊という計画になったが、帰路のことはとくに決めることもないまま出発に至った。
ロードムービーのような小説です。
鳥取へ向かう道中と、鳥取での映画シーンが交互に描かれます。いずれも哲学的な問いが会話の中心で、難しいです。
大阪での宿泊先は、主人公の友人宅なのですが、その友人の名前が島口という、作家と同じ名前です。
すると途中で、主人公の視点から島口の視点に変わります。島口は言います。
この小説に書かれていることはすべて事実だ。(中略)すべての人間が実在していて、そしてすべての出来事が事実である。決して作り話ではない。
さらに、
執筆を始めてからおよそ二ヵ月弱で書き終え、そしてここまで筆を進め、今、この文章を記している。
とまで書かれています。
小説の内容が事実だと強調することに、何の意味があるのか、私にはわかりませんでした。2か月弱で書いた小説が、芥川賞候補になるのはすごいことですが。
私にとって、小説の内容が事実だろうとなかろうと関係ありません。事実だという主張はどうでもいいです。
そして、大学生たちに語られる、記憶や時間の話が、空虚に感じてしまいました。大学生が机上、ならぬ車内で空論を重ねているだけだからかもしれません。
理屈をこねくり回しているようにしか受け取れませんでした。
男性が同じようなキャラクターばかりで、魅力的な登場人物がいませんでした。
「何か言っているようで何も言ってないな、それ」
「でも何かを言おうとはしてる」
「それこそどういう意味でそう言ってるかだよね」
「意味なんてあるのかな」
「あるでしょ」
沈黙。
結局何が言いたいのか、私にはわかりませんでした。
他の人の感想が気になる作品ではあります。本作を評価する方の評価ポイントを聞いてみたいです。
鳥取で撮った映画について、友人から、
伝えたいことって何だったの
と聞かれ、主人公は、
お前が思ったことでいいよ
と返します。私は戸惑いました。
島口さんがこの小説で伝えたかったのは、何だったのでしょうか。
「お前が思ったことでいいよ」と言われたなら、「事実をそのまま小説にしても退屈してしまう」ですかね。
私の理解を超える作品でした。理解できない私の力不足ではありますが、今は再読しようとも思いません。