犬を放ちたい
2021年の群像新人賞は、入賞作が3作ありました。
- 当選作「貝に続く場所にて」
- 当選作「鳥がぼくらは祈り、」
- 優秀作「カメオ」
3番目の賞が「カメオ」ですが、私は3作の中で一番面白く読みました。
先が気になり、途中で読むペースを落とすことがありませんでした。難しい言葉を使わず、プライドの高さを感じさせない文章に、好感を持ちました。
掲載雑誌である「群像」の編集後記では、
不条理な可笑しみに彩られたデビュー作
と紹介されています。
不条理なことの一つに、主人公は犬を一時的に預かるのですが、犬を返す相手に連絡がつかなくなり、犬を返せなくなります。
犬を預かる経緯も不条理です。
犬の飼い主は、主人公の会社で建築予定だった倉庫の隣に、住んでいる男です。
その男は、犬を連れて、主人公の工事現場にクレームを入れます。
犬は頭が大きく、馬面で、雑種犬のようです。小型犬なのか中型犬なのか、子犬なのか成犬なのか、主人公には判断できません。
座り方がまた変わっていて、後ろ脚を前に投げ出して、毛に覆われた陰嚢を見せ、地面に尻をつけて座っていた。その恰好が、まるでだらしなく座り込む中年男のようだった。
男は、クレームを入れるだけでなく、ついには工事現場の朝礼に参加します。
現場監督の中川が何か言う度に、「ヨシッ!」と大声を出して、それにまわりの職人たちが嗤いを堪えている。
工事現場に関係ないおじさんが、現場で威勢を張る姿は滑稽です。まわりの職人に裏で馬鹿にされています。
男の被っているヘルメットに書かれた文字から、男の名が亀夫(カメオ)だとわかります。
亀夫は、倉庫が完成する前に、亡くなります。
残された雑種犬をどうするかという話になり、近所の人たちからの声もあって、主人公が一時的に犬を引き受けることになります。
ですが、犬を引き渡す日になっても、残された親族である亀夫の姉に連絡がつきません。
ペット禁止のマンションに住む主人公は、犬を部屋にかくまって、夜な夜な犬の散歩に出かけます。
主人公の兄の家族が、小型犬を飼おうとしていたので、犬を引き渡す話を持ち掛けますが、寸でのところで断られます。犬がみるみるうちに成長しているのでした。
兄の所為ではないのだ。結局私が押し切られて犬を預かり、更には亀夫の姉にうまく騙された
主人公は、会社の工事で近所に迷惑を掛けているとはいえ、犬を引き受ける必要はなかったでしょう。
たくましい姿に変わっていく犬を見て、主人公は、野に放つことを考えます。
犬を、カメオを放ちたい――。カメオの四肢はもっと躍動を求め、疼いているはずだった。
主人公は、犬にカメオという名をつけます。
犬を放ちたいが、不法投棄に当たって捕まるのではないかという考えが頭をよぎります。
犬を捨てようとしている。処分しようとしている。私は今の暮らしを維持したいだけなのだ。それには犬が邪魔だった。犬の特性、本来の力など言って、自分の身勝手さを正当化しているだけなのだ。
一旦犬を放って、戻ってきたら、諦めて飼うことにしようなどと、思考を巡らせます。
犬を捨てたいが、捨てられないという主人公の葛藤が、不条理に立たされた状況も相まって、可笑しいです。