ナチス強制収容所での実体験
本書を読んだのは、『東大から刑務所へ』を読んだからです。
感想はこちらです。
元大王製紙の会長である井川意高さんが、刑務所で唯一泣いたのが、『夜と霧』を読んだときだったそうです。
ナチスがやったこと、ユダヤ人が体験したことを、極めて淡々と本に書いている。あの本には激しく心を揺さぶられた。
ギャンブルで100億円以上熔かした井川さんが、涙を流した作品がどのようなものか、気になりました。
私は泣けませんでした。語られる世界が異次元すぎて、傍観していました。
感情を揺さぶられなかったのは、もう二度とこんなことはあり得ないと、思い込んでいるからでしょう。
淡々と語られるので、報告書を読んでいるようです。
井川さんの場合は、刑務所の環境と強制収容所がリンクし、より強く刺さったのかもしれません。
『夜と霧』は、著者のナチス強制収容所での実体験をもとに、描かれています。
- 暴力
- 飢餓
- 病気
- 自殺
- ガス室送り
強制収容所は死と隣り合わせ、というより死と同居しています。
煙草は、物々交換の元手になります。
十二本の煙草はなんと十二杯分のスープを意味し、十二杯分のスープはさしあたり二週間は餓死の危険から命を守ることを意味した。
(中略)煙草をたしなむとは、(中略)生き延びることを断念して捨て鉢になり、人生最後の日々を思いのままに「楽しむ」ということなのだった。
仲間が煙草を吸い始めると、著者たちは、「行き詰ったな」と察したようです。
誰も煙草を吸うのを止めたり、自殺を止めたりはしません。
死体はころがっています。
著者の両親と妻は、亡くなりました。ガス室送り、または餓死によってです。
著者だけが生き残りました。
先に収容されていた者が助言します。
髭を剃れ、立ったり歩いたりするときは、いつもぴしっとしてろ。そうすれば、ガス室なんて恐れることはない。
働けなさそうな者は、ガス室送りです。
働けるように見えれば、少なくとも死は避けられるという助言です。
人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにいられない。
著者は強制収容所で、人間はなにごとにも慣れる存在であることを実体験しました。
- 縦2×横2.5メートルの板敷きに、9人で横になって眠れた
- 歯を一度も磨かなかったのに、歯茎は健康だった
- 半年間同じシャツだったが、傷口は化膿しなかった
刑務所とは比べられないほど過酷な環境でしょう。
何が厳しいって、
被収容者は解放までの期限をまったく知らなかった。
刑務所であっても服役期間は定められています。
いつまで続くかわからないなんて、どうしたらよいのでしょうか。
どうしようもできません。
こんなことは二度とないと思い込んでいますが、万が一、このような環境に陥ったらどう生きるかを、次回考えてみます。
感想②はこちらです。