心は揺さぶられた
1997年、酒鬼薔薇聖斗と名乗る人物は、少女1人と少年1人を殺害しました。
犯人は、14歳の少年でした。
その少年(元少年A)の手記です。
書かれている内容は、主に以下のとおりです。
- 少年Aの生い立ち
- 犯行に至るまで(ナメクジ切断、猫殺しなど)
- 犯行(少年少女の殺害)
- 少年院での生活
- 少年院を出てからの生活
- 本作を書くまでの経緯
まず驚かされるのは、文章のうまさです。
丁寧な情景描写や心理描写が、読み手を引きつけます。
猫を殺す陰惨な場面は、実体験だからか、生々しく凄まじい迫力です。
少年院では、国内海外の文学作品に没頭していたようです。
少年Aの環境変化としては、
- 大好きだった祖母の死
- 飼っていた犬の死
が大きかったように思えます。
祖母の死や飼い犬の死以降、
- 祖母の遺品であるマッサージ器による自慰
- 飼い犬の分の餌を食う野良猫に、コンクリートブロックを投げつける
- 野良猫を殺して性的興奮を覚える
ことが起こります。
気持ちの良い読書ではありませんでした。
ですが、目を背けることもできません。
こんな本を出すべきではないと、出版された当時のバッシングの後追いのような気持ちは、ありませんでした。
――これがフィクションだったらどんなに良かったか。
前半部分を読んで感じたのは、これが小説ならどんなに良かったかということです。
加害者の書いた手記だからこそ、現実に起きた事件だという事実が、頭から離れません。
現実の事件を加害者本人が書いたからこそ、出版への疑義を抱き、被害者家族の心情を想像すると、この作品が手放しで素晴らしいとは思えません。
ただ、これが小説なら、現実に起きた事件ではなかったら……素晴らしい作品だと思っていたでしょう。
後半は作品のテイストが異なり、少年Aが少年院を出て社会復帰する姿が描かれます。
住む場所や仕事を転々とし、逃げ隠れしながら生活を送っていきます。
そんな姿を見て、私は、元少年Aを少なからず応援していることに気づきました。
――嘘だろう。なぜこんな犯罪者を応援できる?
自問しながらも、うまく生きられない元少年Aが、普通に生活できたらいいと思ってしまいました。
ですが、あとがきの、被害者の家族に書かれた一文目で、嫌な気持ちになりました。
無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。
出版することは、被害者遺族に無断だったのです。
表現の自由がありますから、被害者遺族とはいえ、元少年Aの著書の出版を差し止めることはできないでしょう。
あとがきで、元少年Aが被害者遺族にお詫びしていることから、本書を出版することで被害者遺族がよく思わないことは想定していたはずです。
それでも、事前に話を通しておく選択肢はなかったようです。
さらに、著者名が「元少年A」という、匿名に近い形で出版されています。
なぜ実名ではなく、「元少年A」なのでしょうか。
実名で発表すれば、実生活に影響が出ます。
実名ではなく匿名で出版することの、なんとも言いがたい狡猾さを感じました。バリアに包まれた空間からビームを放っているような――。
とはいえ、そんなことを言ったところで何の意味もありません。そんな資格、部外者の私にはありません。
「元少年Aは自分のしたことへの反省がない」だの、「被害者遺族の気持ちがわかっていない」だの、言える立場ではありません。
むしろ、そういう言動を私は嫌いだと思いました。
元少年Aや出版社に対して、「許せない」だの「被害者のことを考えろ」だの「出版取りやめにすべき」だの言う部外者が嫌いだと。
批判する資格があるのは、被害者遺族や事件の関係者だけだと思います。
そうでない部外者が、被害者遺族の気持ちを代弁したつもりになって、声高に叫ぶのが嫌いです。
私はそうなりたくない。
私は確かに、作品に、感情は揺らぶらされ続けました。
残虐な犯行を行う少年Aに嫌悪感を抱く一方で、
少年院を出た後に居住や仕事を転々とする元少年Aを、応援していました。
そして、被害者遺族に無断で出版に踏み切った著者や出版社の神経を疑いました。
それでも、この作品を読んで、良かったと思いました。
きっと、私が部外者だからです。被害者遺族や事件の関係者なら、そうは思えないでしょう。
部外者である私は、元少年Aや出版社に対して、否定も肯定もできません。
ただただ、事件とは全く関係のない文学作品として、読みたかったです。
感想②はこちらです。