切迫した感情が煮詰まった作品
私小説に近いフィクションとして読みました。
マツナミという登場人物は、著者本人だと思われます。
カルチャーセンターは、小説を書いて、読んで、合評するスクールです。
本書は三部構成で、
- マツナミが語り手。カルチャーセンターでの出来事がメイン
- カルチャーセンターに通うニシハラの小説『万華鏡』
- 1部や2部への作家、編集者、著者のコメント
第一部では、カルチャーセンターで、ニシハラの小説『万華鏡』が合評に取り上げられます。
マツナミは、『万華鏡』を素晴らしい作品だと感じます。
カルチャーセンターの先生は、
応募したとしたら受賞する可能性もあるっちゃあある
と講評します。
カルチャーセンターで合評された『万華鏡』とはどんな作品か、読者である私は気になります。
すると第二部で、『万華鏡』が作品そのものとして登場します。
小説内小説です。
『万華鏡』は、
- 松波さんの創作なのか
- 実際に存在したニシハラさんの作品なのか
混乱しました。
第三部で、作家や編集者のコメントが書かれ、最後に著者の松波さんの文章で終わります。
『万華鏡』は、実際に存在したニシハラさんの作品でした。
ニシハラさんはお亡くなりになられているようです。
松波さんは『万華鏡』の掲載にあたり、遺族の許可を取っています。
第三部でコメントを書いている評論家の藤田直哉さんは、カルチャーセンターでマツナミやニシハラと共に学んだ同士でした。
藤田さんは、『万華鏡』を下読みで読んだら、
多分、通さない。
少なくとも、受賞作には推さない。
才気はあるが、完成度は低い。そして、小説特有の充実感が足りない。技巧が走り過ぎている。
と、厳しい評です。
小説には、手応えが必要だ。作者がなにがしかの切迫した感情なり情動なり思考なり、煮詰まったそれをぶつけ、小説を書くという行為によって何らかの解決や心理的な浄化を得る。そのような書き手自身のカタルシスが、言葉を通じて読者にも届き、魂を心底から揺さぶり、読者の精神をも浄化し、より高いところへと導く。
『万華鏡』だけを読んだら、手応えのない作品だったかもしれません。
ですが、『カルチャーセンター』という作品全体で読んだら、『万華鏡』はなくてはならない一部です。
第三部のコメントも必要不可欠です。コメントを含めて、「なにがしかの切迫した感情なり情動なり思考なり」が煮詰まった作品として受け取れます。
そして、松波さんの『万華鏡』への思い。
この小説だけは作品――商品としても、きちんと商業媒体に載せないといけない。このような気持ちにまでなったのは、いわゆる”素人”から”プロ”を通してみても初めてだ。
『万華鏡』を掲載するには、遺族の許諾が必須でした。
松波さんはニシハラさんの連絡先を知りません。
先生やカルチャーセンターに通った仲間に連絡するも、連絡先はわかりません。
ですが、インターネットで本名を検索するとヒットしました。
”ピースボードで世界一周”した際に寄稿したらしい書籍の名前が引っかかり……
編著者にメールを出して、遺族に繋がり、掲載の許可を得られたようです。
私に届きました。ラストの回想は、鳥肌が立ちました。作者、登場人物、コメントを書いた作家や編集者、みんなで作り上げた作品みたいで。
最後、これで終わりではないはずとページをめくりましたが空白で、左下に「早稲田文学」という文字が目に入り、終わったんだと思いました。
感想②はこちらです。