いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

磯﨑憲一郎×乗代雄介 対談「小説のプランを信じ続ける」の感想(『文学界』2020年8月号)

小説のプランを信じ続ける

小説のプランを信じ続けるとは、どういうことでしょうか。

私には理解できませんでした。

少なくとも、小説を書くためのプロット(プラン)を信じ続けて書く、ということではないでしょう。

理解できなかったのに、なぜ感想を書くのかというと、表題ではない部分に、面白味を感じたからです。

まず、磯﨑さんがぶっこみます。

トークショーとかシンポジウムとか、文芸誌上の対談なんかも大抵そうなんだけど、最大公約数的な浅い話しかしていない。結局、一人で孤独に考えている時が一番考えが深まる、その喜びは何物にも代えがたいですよね。彼らの孤独に惹かれる乗代さんだから、本当に友達がいないんでしょう?(笑)

この対談も「最大公約数的な浅い話」なのでしょうか。

トークショーやシンポジウムはわかりませんが、文芸誌上での対談は、深い話に感じていました。

しかし、対談する本人たちからすると、浅い話なのかもしれません。

「一人で孤独に考えている時が一番考えが深まる」というのはわかります。

私の場合、書いているときに、考えが深まります。

文字を打っていると、考えを整理できますし、さらに新たな考えが浮かびます。

新たな考えが浮かび、それを言語化できたときの喜びは、確かにあります。

乗代さんに友達がいないことは、保坂和志さんとの対談でも出ていました。

乗代さんは、

そういう孤独の中でないと、磯﨑さんがよくおっしゃる言い方だと具体性が残せないと考えていて、わりと計画的に孤独にいるようにしています

「計画的に孤独にいる」というのは、あえて一人の時間を作っていることでしょう。

ですが、「具体性が残せない」が、わかりませんでした。

孤独にいると具体性を残せるというのは、作品について具体性を残すことでしょうが、どういう意味で言っているか、理解できませんでした。

磯﨑さんは言います。

乗代さんのいちばんのすごさは、言葉の選び方とその配置の絶妙さにあるということです。しかもその絶妙さは、センスや才能という言葉で片付けられるものではなく、小説との向き合い方の真剣さというか、(中略)適切な言葉にたどり着こうとする努力を惜しまない、そんな度を越した真面目さ、執念から来ているような気がしてならないんです

乗代さんの作品は難しいです。

「センスや才能という言葉で片付けられるものではなく、小説との向き合い方の真剣さ」というのが、わかります。

妥協しない、本物の小説家です。

乗代さんは書き写しノートを取っているそうです。

もう十冊目くらいなんですが、最初は名言集のような感じだったのが、だんだんと語り口が好きなものを書き写すようになってきて、その中でも特に好きな文章は自分でも覚えています

  • 真剣
  • 努力
  • 真面目
  • 執念

乗代さんのこの方向性が、書き写しノートを取ることにつながるのでしょう。

小説家になるには書き写しノートを取ることが必要、というわけではないと思います。

本物の読書家であり、小説家である乗代さんは、真剣で、努力家で、真面目で、執念深いです。

小説家になるには、「書き写しノートを取るという手段」を真似するのではなく、「真剣、努力、真面目、執念」を真似し、その手段を自分なりに模索することが重要だと感じました。