野間文芸新人賞受賞時の対等な対談
乗代雄介さんが『本物の読書家』で野間文芸新人賞を受賞されたときの対談です。
対談当時(2018年)、乗代さんは学習塾のアルバイトをしていました。
週三、四で仕事をしています。主に小学生相手の塾講師で、低学年から高学年まで個別指導で見ています。大学を卒業してからずっと同じ職場なので、もう十年くらい。
個別指導の塾というのが作家らしいです。『影裏』で芥川賞を受賞した沼田真佑さんも塾講師だった気がします。
週三、四の仕事なので、フルタイムの人よりも時間にゆとりがあります。保坂さんはその点を指摘します。
本来、若いうちに本を読んだり勉強したりする時間を労働に奪われないために、社会はベーシックインカムや奨学金やいろんなことをしてくれなきゃいけないはずなんだ。労働に時間を奪われなかった乗代さんは、正しくそこで働かずに本を読んで、書き写しをしていたわけだ。
大学を卒業してフリーターを選ぶのはリスクがあるでしょうが、それを選択する乗代さんの覚悟を感じました。
保坂さんは、乗代さんが小説を発表したとき、周りの反応がどうだったかを聞きます。
乗代さんは、
そもそも友達がいないので、まず知っている同級生もいない。塾でも言わないですし、親もあまり関与しないですし。
と返します。個別指導の塾講師をしながら一人淡々と小説を書く精神力は、すさまじいものを感じます。塾の同僚や生徒の親からの風当たりも強そうですし。
この対談ですごいのは、乗代さんが保坂さんと対等に話している点です。
受賞対談だと、先輩作家が受賞作を褒めたり解説したりして、受賞した作家がお礼を言ったり解説にうなずいたりするものですが、そうではありません。
例えば、保坂さんの質問に対する、乗代さんの反応が顕著です。
保坂:「書く」と同等な「読む」ということを、まだ読んでいない読者か、よくわかっていない読者に向かって、あなたが今、口で説明するとしたら、どうなる?
乗代:大前提としてそんなことは言いたくはないし、しゃべりたくもないんですね。
乗代さんの歯に衣着せぬ発言に驚きました。
確かに、「読んでない読者やよくわかっていない読者」への説明など、したくないでしょう。ですが、先輩作家である保坂さんからの、仮の質問に対する返答の第一声がこれというのは、肝が据わってます。信頼できる作家だと感じました。
一方、保坂さんは選評で、乗代さんの作品を正確にわかっていないと書いています。
いくつもの言葉・概念の意味するところを私は正確にわかってないが、肝心なことというのは「わかる」のではなく、わからないまま持ち続けるしかない。
わからないものをわからないと発言できる点が信頼できます。同時に、そう言わしめる乗代作品のすごさを、再認識させられます。
書かれた物や事に意味はいらない、しかし面白ければ意味をつい考えたくなる、しかし意味が見えてしまった途端につまらない。カフカは誰もが意味づけの衝動に駆られるが、たぶん何も意味してない。いろいろ意味づけするほど人を居心地悪くさせるのは、意味が深淵だからではなく、その意味ではないからだ。
保坂さんにとって良い作品とは、
- 前提として意味はいらない
- だが面白い
- 面白いので意味を考えたくなる
- だが意味は見えてこない
ものでしょう。
「意味が見えてしまう途端につまらない」とまでは、私は思わないです(むしろ意味が見えたら、面白がってしまいます)。
見えた意味は、実際とは違うかもしれませんが、意味は人の捉え方次第で違っていいですし、他者が「その意味は違う」と言う必要はないと思いました。