純文学というより素文学
保坂さんの『書きあぐねている人のための小説入門』が面白く、『プレーンソング』が多く引用されていたので、手に取りました。
ストーリー展開よりも、日常のありのままを描写しているような作風です。
エンタメとは対極です。
エンタメの対極は純文学だと思っていましたが、この作品が純文学作品かというと、また別の印象を受けます。純文学だとしても、ストーリー展開がなさすぎるのです。
「素文学」と名付けたいです。
日常を描く作品ですが、
- 日常にある、ささやかな楽しみ
- 日常で触れ合う、ほほえましい交流
を描く作品ではありません。
主人公は一応社会人ですが、朝早く出勤しているわけではありません。起きて気が向いたら会社に行っている感じです。
主人公は、彼女と住む予定だった2LDKのアパートに、一人で住んでいます。
家の近くにやって来た猫を、手なずけようとしては逃げられを繰り返しています。
友人たちが一人、また一人と泊まりに来ては、住み着きます。住み着く人は、働いていないような、金のない若者ばかりです。
金のない若者たちが一緒に住んで何をやっているかというと、特段何もしていません。個々人で生活を送っています。
巻末の解説で、四方田犬彦さんは、
『プレーンソング』が提示したいのは、個人のヒロイックな物語ではなく、「それぞれに自分のテンポのようなもの」をもっている複数の人物たちが同時に存在していることの、「そうなっている状態」と、それが意図も目的もなく構造として作り上げられてゆく過程に他ならない。
確かにそのとおりなんですけど、読んでいるこちらからすると、だから何なんだと思ってしまいます。
正直、読んでいる間は退屈でした。
にも関わらず、『プレーンソング』は新人賞を経由することなく、雑誌に掲載されました。編集者の目には留まったわけです。
プロの作家の方にも、保坂さんの作品を好んで読む方が多いようです。
となると、退屈を感じている私に問題があるのでしょう。
私は、この作品がフラットで新人賞に応募されたとして、受賞しないとさえ思ってしまいました。
ですが、保坂さんは日本を代表する作家です。
- 『草の上の朝食』で野間文芸新人賞
- 『この人の閾』で芥川賞
- 『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞
など、多くの文学賞を受賞しています。
何か特筆すべき点があるからなのでしょうが、私が『プレーンソング』で感じたのは、主人公の友人が、保坂さん自身の小説の考え方をしていることです。
主人公の友人は、映画を撮っていますが、面白さにこだわりません。
筋って、興味ないし。日本の映画とかつまんない芝居みたいに、実際に殺人とかあるでしょ、それでそういうのから取材して何か作ってって。(中略)殺人なんて普通、起こらないし。
読んでいる間は退屈なのですが、読み終わった今、この作品は一体何だったんだろうという思いがあるのは確かです。
ストーリーのことではなく、
- 作風
- 映画を撮っている友人の考え
- あまり働かないで生きる主人公たち
のことを考えてしまっています。
結局何がすごいのかわからないのは、私が、この作品を楽しめるレベルには達していないからでしょう。
悔しいので、上記の受賞作の中から読んでいこうと思います。