遭難者が潜む喫茶店
作品の舞台は、宮城県の田舎にある喫茶店です。
その喫茶店は昔、自転車屋でした。
喫茶店の店主の父が、自転車屋を営んでました。
父が亡くなり、娘が店主として、喫茶店を始めました。
その喫茶店には、遭難者と呼ばれる存在がいます。
人間たちには見えません。
読者にも、遭難者が何者なのか、わかりません。
遭難者には、アルファベットでA~Eと名前がついてます。
例えばAについて。
Aは意識的に身を震わせ、かちかちを解く。この時ひょんひょん音が鳴るのがまた困るのだが、幸い壁にある古めかしい時計の秒針が音を立てている、Aはそのゆったりとした瞬きに合わせて自らの雑音を埋もれさせる。
- Aがかちかち(身体が固まること)をほぐすときには、ひょんひょん音が鳴る
- ひょんひょん音は、時計の秒針音で埋もれるくらいの音量
Aは(中略)冷たいミカン箱の陰にするりと身を隠した。
(中略)Aの存在の通る隙間さえ与えず、扉を閉めることで断絶を表した。
- Aは、ミカン箱に隠れるくらいの大きさ
- Aは、扉が閉まったら通れないくらいの大きさ
小さな獣のような存在ですかね。わかりません。
わかりやすいのは、Cです。
やっと身体が蜻蛉の形状に戻ってきたというCの呟き
と、あるとおり、Cはトンボの形に近い存在です。
形が近くても、Cはトンボではありません。
結局、遭難者A~Eは、つかみどころのない存在です。
遭難者たちは一人ずつ救助船に回収されていく。順番もタイミングも向こうの都合、回収される側からすると突然に来る。
- 遭難者は船で救助される
- いつ救助されるかはわからない
遭難者が、どうやって宮城県の喫茶店のあたりに来たのかはわかりません。
タイトルにある「遠くから来ました」について。
- 誰が
- どこから
- どこに来たのか
という疑問が生じます。
- 遭難者が
- 遭難者の故郷から
- 宮城県の喫茶店に来た
とも言えるでしょう。
ただ、終盤、喫茶店の店主が、遭難者Aの故郷にいることがわかります。
「何処からいらしたのですか」と問われた店主は答えます。
「あえて言うのならば、『遠くから』でしょうか」
「遠くから来ました」について、
- 喫茶店の店主が
- 宮城県の喫茶店から
- 遭難者Aの故郷に来た
とも言えます。
では、遭難者Aの故郷はどこなのか。
地球と宇宙などという区別でもなければこの世とあの世でもない、結局は夢の世界としか表現できない場所だった
喫茶店の店主にとっては、「夢の世界としか表現できない場所」でした。
読者の私は、遭難者の故郷をどう捉えればいいのでしょうか。
喫茶店の店主が、亡くなった後に、遭難者Aの故郷に行ってるとすると、
遭難者たちも、故郷で亡くなった後(もしくは亡くなる寸前)に、宮城店の喫茶店に来たと、考えることはできます。
遭難者は、救助船で故郷に帰ることはできますが、人間である店主は、現世に帰ってくることができません。
遭難者を救助するような存在は地球にはないので、人間は死んだら帰ってくることができません。
ただ、死んだ後、店主の言うところの「夢の世界としか表現できない場所」である遠くに、行くことはできるのかもしれないと、ふと思い浮かびました。