いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『遠くから来ました』白鳥一(著)の感想【遭難者が潜む喫茶店】(群像新人賞優秀作)

遭難者が潜む喫茶店

作品の舞台は、宮城県の田舎にある喫茶店です。

その喫茶店は昔、自転車屋でした。

喫茶店の店主の父が、自転車屋を営んでました。

父が亡くなり、娘が店主として、喫茶店を始めました。

その喫茶店には、遭難者と呼ばれる存在がいます

人間たちには見えません。

読者にも、遭難者が何者なのか、わかりません。

遭難者には、アルファベットでA~Eと名前がついてます

例えばAについて。

Aは意識的に身を震わせ、かちかちを解くこの時ひょんひょん音が鳴るのがまた困るのだが、幸い壁にある古めかしい時計の秒針が音を立てている、Aはそのゆったりとした瞬きに合わせて自らの雑音を埋もれさせる

  • Aがかちかち(身体が固まること)をほぐすときには、ひょんひょん音が鳴る
  • ひょんひょん音は、時計の秒針音で埋もれるくらいの音量

Aは(中略)冷たいミカン箱の陰にするりと身を隠した

(中略)Aの存在の通る隙間さえ与えず、扉を閉めることで断絶を表した

  • Aは、ミカン箱に隠れるくらいの大きさ
  • Aは、扉が閉まったら通れないくらいの大きさ

小さな獣のような存在ですかね。わかりません。

わかりやすいのは、Cです。

やっと身体が蜻蛉の形状に戻ってきたというCの呟き

と、あるとおり、Cはトンボの形に近い存在です。

形が近くても、Cはトンボではありません。

結局、遭難者A~Eは、つかみどころのない存在です。

遭難者たちは一人ずつ救助船に回収されていく順番もタイミングも向こうの都合、回収される側からすると突然に来る

  • 遭難者は船で救助される
  • いつ救助されるかはわからない

遭難者が、どうやって宮城県の喫茶店のあたりに来たのかはわかりません。

タイトルにある「遠くから来ました」について。

  • 誰が
  • どこから
  • どこに来たのか

という疑問が生じます。

  • 遭難者が
  • 遭難者の故郷から
  • 宮城県の喫茶店に来た

とも言えるでしょう。

ただ、終盤、喫茶店の店主が、遭難者Aの故郷にいることがわかります。

「何処からいらしたのですか」と問われた店主は答えます。

あえて言うのならば、『遠くから』でしょうか

「遠くから来ました」について、

  • 喫茶店の店主が
  • 宮城県の喫茶店から
  • 遭難者Aの故郷に来た

とも言えます。

では、遭難者Aの故郷はどこなのか。

地球と宇宙などという区別でもなければこの世とあの世でもない、結局は夢の世界としか表現できない場所だった

喫茶店の店主にとっては、「夢の世界としか表現できない場所」でした。

読者の私は、遭難者の故郷をどう捉えればいいのでしょうか。

喫茶店の店主が、亡くなった後に、遭難者Aの故郷に行ってるとすると、

遭難者たちも、故郷で亡くなった後(もしくは亡くなる寸前)に、宮城店の喫茶店に来たと、考えることはできます。

遭難者は、救助船で故郷に帰ることはできますが、人間である店主は、現世に帰ってくることができません。

遭難者を救助するような存在は地球にはないので、人間は死んだら帰ってくることができません。

ただ、死んだ後、店主の言うところの「夢の世界としか表現できない場所」である遠くに、行くことはできるのかもしれないと、ふと思い浮かびました。