いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『ゲーテはすべてを言った』鈴木結生(著)の感想【名言の出典を求めて】(芥川賞候補)

名言の出典を求めて

主人公は、ドイツ文学を研究する大学教授です。

日本におけるゲーテ研究の第一人者とされてます。

主人公が学生時代、ドイツに留学してたときに、隣人の美大生は言いました。

ドイツ人はね(中略)名言を引用するとき、それが誰の言った言葉か分からなかったり、実は自分が思い付いたと分かっている時でも、とりあえず『ゲーテ曰く』と付け加えておくんだ何故なら、『ゲーテはすべてを言った』から

ドイツ人が「ゲーテ曰く」と言うかの真偽は定かではありませんが(おそらく美大生のジョークでしょう)、主人公の言う「ゲーテ曰く、『ベンツよりホンダ』」に、ユーモアを感じました。

「ゲーテ曰く」と付け加えることで、説得力が増します。言われた相手は否定しづらくなります。

主人公は、妻と大学生の娘とでイタリア料理店に行きます。

その店の紅茶のティー・バッグに、ゲーテの名言が英語で書かれてるのを目にします。

Love does not confuse everything,but mixes.

主人公は、その名言をどこかで聞いたことがあったと思うものの、出典の確信は持てません。

主人公の日本語訳では、「愛はすべてを混淆(こんこう)せず、渾然(こんぜん)となす

  • 混淆:さまざまの違うものがいりまじること(精選版 日本国語大辞典から抜粋)
  • 渾然:すべてがとけ合って区別がないさま(デジタル大辞泉から抜粋)

混淆も混然も難しいです。

娘の日本語訳では、「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる

混乱と混ぜ合わせるの方が、イメージしやすいです。

ゲーテがすべてを言ったならば、上記の言葉も言ったことになるでしょう。

主人公は、大学の講義で話します。

『ゲーテはわれわれ人間に関するほとんどすべてを語っている』という意味において、『すべてを言った』とするならば、確かに『ゲーテはすべてを言った』のかもしれません。(中略)我々はどんな言葉でもゲーテが言ったような気がする少なくとも、『ゲーテはそんなこと言ってない』とは言い切れない

名言の出典がわからないからと言って、「ゲーテが言ってない」とは言えないということでしょう。

もしこの言葉をゲーテが言っていなかったとしたら、「ゲーテはすべてを言った」ことにはなりえない

しかし学生の一人は、「ゲーテはすべてを言ったとは思いません」と言います。

何故なら、「一人の人間にすべてを言うことなんてできない」から

学生の主張は、もっともなように感じます。

ゲーテがいくら天才とはいえ、一人ですべて言うことはできないでしょう。

主人公は名言の出典を探るべく、片っ端から知り合いにメールで問います。

義父は、「君はそれを見つけられるでしょうその言葉が本当なら」と言います。

主人公は、「本当なら」について訝しみます。

「本当(のゲーテの言葉)」ということ? それとも……

「それとも……。」の後に続くものとして、「本当(の言葉)ということ?」と読み取れます。直後に、

「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」これは本当なのか? 愛はすべてをそれぞれのままで結び付けることができるのか?

とあるからです。

出典がわからないまま、主人公はゲーテを紹介するテレビ番組に出演し、名言を使ってしまいます。

やってしまったと、吐きそうになる主人公に対して、娘は言います。

存在しない言葉をパパが言ったことによって、存在したことにできるっていいじゃん

元の言葉が捻じ曲がって伝わることは、よくある話だと思います。

学者にとって、出典の確認できてない言葉をそのまま使うのは、過ちだったようです。

ないこともあることにできてしまうのは、主人公がゲーテ研究の第一人者だからでしょう。

権威があると、何とでも言えてしまい、それが信用に足りてしまう怖さを感じました。

無条件で信用してしまうのは間違ってるのかもしれません。とはいえ、受け手に真偽を確かめる能力がないと、そのまま受け取らざるを得ないわけですが。

あの言葉はゲーテの言葉ではない、ということを証明しようとすることでもあったのだそして、非存在という悪魔を追い続ける限り、(中略)安全ではあったろう何故なら、それは不可能だから

悪魔の証明と呼ばれるやつですね。

ゲーテの名言が存在しないことの証明は、できないのでしょうか。

「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」をゲーテが言ってないと証明するのは、できないかもしれません。

しかしこの名言が、もし他の偉人に言われてたら、ゲーテの名言にはなり得ないと思います。

他の偉人の言葉だったら、仮にゲーテが言ってたとしても、ゲーテの名言として紹介するのは違う気がします。

「人間は考える葦である」とゲーテは言ったとは、言えないでしょう。仮にゲーテがすべてを言ったとしても、パスカルがいます。

「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という名言が、他の偉人の言葉だと判明してしまったら、ゲーテの言葉ではないと言えると思います。

主人公が夢で、ゲーテと思しき存在に言われます。

あらゆることは既に言われていて、われわれはせいぜい、それを別の形式や表現で繰り返すだけだ

「繰り返すだけだ」と言われると、寂しさがあります。

すでに言われてる言葉でも、誰が言うか、誰に言うか、いつ言うか、どう言うかによって、違ったものになるはずです。

ゲーテが上記の名言を言ったかを、ここで明かすのはもったいないので本文に任せます。

ただ、名言を解読する最後のピースが知り合いという展開は、作家の作為を感じました。ご都合主義感が否めません。

衒学的に受け取られかねない作品ではありますが、私は面白く読み進められました。

著者の知識量に圧倒されました。