名言の出典を求めて
主人公は、ドイツ文学を研究する大学教授です。
日本におけるゲーテ研究の第一人者とされてます。
主人公が学生時代、ドイツに留学してたときに、隣人の美大生は言いました。
ドイツ人はね(中略)名言を引用するとき、それが誰の言った言葉か分からなかったり、実は自分が思い付いたと分かっている時でも、とりあえず『ゲーテ曰く』と付け加えておくんだ。何故なら、『ゲーテはすべてを言った』から
ドイツ人が「ゲーテ曰く」と言うかの真偽は定かではありませんが(おそらく美大生のジョークでしょう)、主人公の言う「ゲーテ曰く、『ベンツよりホンダ』」に、ユーモアを感じました。
「ゲーテ曰く」と付け加えることで、説得力が増します。言われた相手は否定しづらくなります。
主人公は、妻と大学生の娘とでイタリア料理店に行きます。
その店の紅茶のティー・バッグに、ゲーテの名言が英語で書かれてるのを目にします。
Love does not confuse everything,but mixes.
主人公は、その名言をどこかで聞いたことがあったと思うものの、出典の確信は持てません。
主人公の日本語訳では、「愛はすべてを混淆(こんこう)せず、渾然(こんぜん)となす」
- 混淆:さまざまの違うものがいりまじること(精選版 日本国語大辞典から抜粋)
- 渾然:すべてがとけ合って区別がないさま(デジタル大辞泉から抜粋)
混淆も混然も難しいです。
娘の日本語訳では、「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる」
混乱と混ぜ合わせるの方が、イメージしやすいです。
ゲーテがすべてを言ったならば、上記の言葉も言ったことになるでしょう。
主人公は、大学の講義で話します。
『ゲーテはわれわれ人間に関するほとんどすべてを語っている』という意味において、『すべてを言った』とするならば、確かに『ゲーテはすべてを言った』のかもしれません。(中略)我々はどんな言葉でもゲーテが言ったような気がする。少なくとも、『ゲーテはそんなこと言ってない』とは言い切れない
名言の出典がわからないからと言って、「ゲーテが言ってない」とは言えないということでしょう。
もしこの言葉をゲーテが言っていなかったとしたら、「ゲーテはすべてを言った」ことにはなりえない。
しかし学生の一人は、「ゲーテはすべてを言ったとは思いません」と言います。
何故なら、「一人の人間にすべてを言うことなんてできない」から。
学生の主張は、もっともなように感じます。
ゲーテがいくら天才とはいえ、一人ですべて言うことはできないでしょう。
主人公は名言の出典を探るべく、片っ端から知り合いにメールで問います。
義父は、「君はそれを見つけられるでしょう。その言葉が本当なら」と言います。
主人公は、「本当なら」について訝しみます。
「本当(のゲーテの言葉)」ということ? それとも……。
「それとも……。」の後に続くものとして、「本当(の言葉)ということ?」と読み取れます。直後に、
「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」。これは本当なのか? 愛はすべてをそれぞれのままで結び付けることができるのか?
とあるからです。
出典がわからないまま、主人公はゲーテを紹介するテレビ番組に出演し、名言を使ってしまいます。
やってしまったと、吐きそうになる主人公に対して、娘は言います。
存在しない言葉をパパが言ったことによって、存在したことにできるっていいじゃん。
元の言葉が捻じ曲がって伝わることは、よくある話だと思います。
学者にとって、出典の確認できてない言葉をそのまま使うのは、過ちだったようです。
ないこともあることにできてしまうのは、主人公がゲーテ研究の第一人者だからでしょう。
権威があると、何とでも言えてしまい、それが信用に足りてしまう怖さを感じました。
無条件で信用してしまうのは間違ってるのかもしれません。とはいえ、受け手に真偽を確かめる能力がないと、そのまま受け取らざるを得ないわけですが。
あの言葉はゲーテの言葉ではない、ということを証明しようとすることでもあったのだ。そして、非存在という悪魔を追い続ける限り、(中略)安全ではあったろう。何故なら、それは不可能だから。
悪魔の証明と呼ばれるやつですね。
ゲーテの名言が存在しないことの証明は、できないのでしょうか。
「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」をゲーテが言ってないと証明するのは、できないかもしれません。
しかしこの名言が、もし他の偉人に言われてたら、ゲーテの名言にはなり得ないと思います。
他の偉人の言葉だったら、仮にゲーテが言ってたとしても、ゲーテの名言として紹介するのは違う気がします。
「人間は考える葦である」とゲーテは言ったとは、言えないでしょう。仮にゲーテがすべてを言ったとしても、パスカルがいます。
「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という名言が、他の偉人の言葉だと判明してしまったら、ゲーテの言葉ではないと言えると思います。
主人公が夢で、ゲーテと思しき存在に言われます。
あらゆることは既に言われていて、われわれはせいぜい、それを別の形式や表現で繰り返すだけだ
「繰り返すだけだ」と言われると、寂しさがあります。
すでに言われてる言葉でも、誰が言うか、誰に言うか、いつ言うか、どう言うかによって、違ったものになるはずです。
ゲーテが上記の名言を言ったかを、ここで明かすのはもったいないので本文に任せます。
ただ、名言を解読する最後のピースが知り合いという展開は、作家の作為を感じました。ご都合主義感が否めません。
衒学的に受け取られかねない作品ではありますが、私は面白く読み進められました。
著者の知識量に圧倒されました。