文学が好きな人に
タイトルの「坂下あたる」は、主人公の憧れの存在です。
小説投稿サイトに投稿する高校生で、新人賞の最終選考に残ったこともあります。
あたるには才能がありますが、主人公には才能がなく、劣等感を抱きます。
それでも主人公は、あたるが語らなかった言葉を拾い、こっそり詩を書いて、公募に出しています。
その作品で佳作を取りましたが、誰にも言えずにいます。
おれたちはなにをやっているのだろう?(中略)貴重な青春を、現代詩だの小説投稿サイトだの、そんなものに費やしていて、空しくないか? だけど、あの書店で自分の名前を見つけたときの宇宙が、この青空すらを貫いていた。
雑誌に名前が載った瞬間、青春をかけてもいいと思えたのでしょう。
ただ主人公は、自分の詩が、あたるから生まれたものだと感じています。
人から影響を受けて書いた作品だって、自分の作品だと思います。
タイトルの「しじょう」は、詩情=詩に読まれた感情のことでしょう。
ひらがなにしていることから、他にも意味がありそうです。
例えば主人公の「私情」です。
おれが問題にしてるのは、あくまでおれとあたるのことだ!
と主人公は言い、周りの雑音を気にしません。
あたるは言います。
読者のためだけにかかなくてもいい! 文学のためにかけば、それが反射して読者をしあわせにする。読者がよんでくれるだけで、文学から反射されるもので著者もしあわせになれる。
読者のためでも自分のためでもなく、文学のために書くという感覚。
文学が好きな人、才能や嫉妬について興味がある人におすすめです。
好きなものがなかったら
私が高校生のときは、主人公たちと違い、好きなものに没頭できませんでした。
入りたい部活はないのに、運動部に入らない奴はダサいという固定観念から、運動部に入りました。
むしろ私こそダサい奴です。
文化部や帰宅部は、ヒエラルキーの下な気がして嫌でした。
それだけで運動部に入るなんて、本当にダサいです。
それに比べ、あたると主人公はキラキラしています。
好きな文学や詩に、周りの目を気にすることなく没頭しています。
投稿サイトには、あたるの作品によく似た小説が投稿されます。それは、AIが書いた作品でした。
AIは、あたるの書く作品を参考に小説を書きます。
一方主人公は、あたるが語りこぼしたものを、自分なりにアレンジして詩を書いています。
アレンジしたものはオリジナルでしょう。
私は、好きなものがあったら躊躇せずに没頭すべきだったし、好きなものがなかったら探せばよかったのです。
過去を悔いても仕方ありません。
今、どうするか。
キラキラとは程遠いですが、主人公たちのように、好きなものに没頭します。
調べた言葉
- たけだけしい:ずうずうしい
- 快哉:痛快なこと
- ほだされる:情に引かれて気持ちや行動が束縛される
- 穏当:おとなしいこと
- 倦む:飽きていやになる
- 迂遠(うえん):回りくどいさま
- 交錯:いくつかのものが入り交じること
- 神出鬼没:自由自在に出没し、所在が容易にわからないこと
- 侃々諤々(かんかんがくがく):正しいと思うことを主張し、議論すること
- 詩情:詩に読まれた感情
- 気ぜわしい:気持ちがせかされて落ち着かないさま
- 俄然:急に