夕日評論家という仕事
感想①はこちらです。
著者の高橋さんは、夕陽評論家という肩書きを知ったとき、好きなことを極めれば仕事になると確信したそうです。
高橋さんがラジオで聞いた、夕日評論家の言葉を抜粋します。
僕は夕日がとにかく大好きで、三度の飯より、下手したら奥さんよりも大好きで、いろんなところへ夕日を見に行っては、独りで感動していました。(中略)夕日はお金にならないし、家族や親戚の視線は冷たかったんですけどね。いい歳してあの人は、って。
でもそんなある日、どこで聞きつけたのか、ある出版社からお話しがあり、僕の日記や写真を見ていただいた結果、雑誌でコーナーを持たせてもらえることになったんです。それから1年後に本の出版も決まってしまって。とうとう、夕日で飯が食えるようになってしまったんですよ。
好きなことを極めたら、世間の需要と合致し、食えるようになったのでしょう。うらやましいです。
では、好きなことなら、何でも極めれば食えるようになるかというと、違う気がします。
例えば、私はブログを書くのが好きですが、食えていません。まだ極めていないだろうと言われればそれまでですが、一応390記事書いています。1記事1000字だとして、390×1000字=39万字を書いていますが、食えていません。
500記事書いたら食えるのか、1000記事書いても食えないのか、私にはわかりません。ただ、感想を書くのは好きだから、細々と続けている気はします。
夕日評論家のように、読書感想家として食える可能性はゼロではありませんが、可能性は低いでしょう。私の感想に需要がなければなりません。
読書感想家として食えるようになる方法の一つに、夕日評論家の方と同じように、雑誌でコーナーを持たせてもらうことがあります。そのためには、他の人にはない独自の視点が必要です。
自分の視点が独自の視点だったらいいのですが、そうでない場合、独自の視点を無理やり作り出さなければなりません。
私は、食えていないからこそ、好きなことを好きなように書けています。
最低限の仕事をして、自分の好きなように感想を書く。考えの整理になるし、読んでくださる方がいれば、もちろん嬉しいです。
では、私は好きなことで食うことを諦めているかというと、そうかもしれません。
むしろ私は、好きなことをするために、やりたくないことを最低限に減らす努力をしています。
例えば、
- 最低限の仕事をもっと減らす(有給休暇の消化、残業をしない)
- やりたくない仕事から、やっても良いと思える仕事へ転職(司書への転職)
どんなにやりたい仕事でも、組織に属している限り、自分の好きなようにはできないでしょう。
ですが、組織に属さなければ、少なくとも今の私は稼ぐことができません。
なので、なるべく働かず、少しでもやっていいと思える仕事に就いて、自分の好きなブログに時間を費やせるようにします。
やってもいいと思える仕事に就けて、もしブログよりも面白ければそっちに専念するものありですし。