いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』町田康(著)の感想③【文学の最終的な目的】

文学の最終的な目的

感想①はこちらです。

感想②はこちらです。

文学の最終的な目的は何ですかって話です

  • なぜ文学を読むのか
  • なぜ文学を書くのか

に、置き換えてもいいかもしれません。

町田さんは言います。

この世の熱狂から離脱すること、この世にいながら、あの世に片足を置きながら、この世の熱狂から離脱することができる

なぜ、熱狂から離脱する必要があるのでしょうか。

WBCとかワールドカップとかに、熱狂してはいけないのでしょうか。

熱狂の中にいると、なぜ自分が熱狂しているかを考えられないと、町田さんは言います。

熱狂から醒めたとき、なぜ自分があんなに熱狂していたのかを、考えられると。

僕は、熱狂のさなかにあるというのは、人間として不幸なことやと思うんですよね

私は、熱狂したければすればいいし、したくなければしなければいいと思います。

熱狂したいのに、熱狂するのは不幸だから我慢するっていうのが、一番最悪だと思います。

WBCを全力で応援していいし、見終わった今、どうしてあんなに熱狂したんだろうと思ってもいいでしょう。

熱狂しなければわからなかったものも、あるはずです。

熱狂自体が悪いとは思いません。熱狂する対象次第ですね。

熱狂せずに、自分のことだけ考えればいいかっていうと、そうでもなさそうです。

権力を持っている人とか、お金とか、そんな外側のものにも流されずに、自分の煩悩とか欲とかにも流されず、両方に軸足を置いて、(中略)どちらにも傾かず、今、この瞬間を全力で生きることができる

  • 強者、金に流されない
  • 欲や煩悩に流されない

それで、この瞬間を全力で生きることができるのでしょうか。

町田さんは、「自分にとって」どうするかを言います。

オートマチックじゃない言葉遣い、文学的な言葉遣いで突破していくことによって、マスの言語に抵抗しながら言葉を紡いでいく、こういうことを、今後、自分がやることが、自分にとっての、これからの日本文学であると。

熱狂が悪いのではなくて、周りに流されるのがいけないのだと思いました。

自分なりの考え方を構築し、「自分にとって」どうするかを実行する。

そのための土台として文学があるのだと、感じました。