文学の最終的な目的
感想①はこちらです。
感想②はこちらです。
文学の最終的な目的は何ですかって話です。
- なぜ文学を読むのか
- なぜ文学を書くのか
に、置き換えてもいいかもしれません。
町田さんは言います。
この世の熱狂から離脱すること、この世にいながら、あの世に片足を置きながら、この世の熱狂から離脱することができる。
なぜ、熱狂から離脱する必要があるのでしょうか。
WBCとかワールドカップとかに、熱狂してはいけないのでしょうか。
熱狂の中にいると、なぜ自分が熱狂しているかを考えられないと、町田さんは言います。
熱狂から醒めたとき、なぜ自分があんなに熱狂していたのかを、考えられると。
僕は、熱狂のさなかにあるというのは、人間として不幸なことやと思うんですよね。
私は、熱狂したければすればいいし、したくなければしなければいいと思います。
熱狂したいのに、熱狂するのは不幸だから我慢するっていうのが、一番最悪だと思います。
WBCを全力で応援していいし、見終わった今、どうしてあんなに熱狂したんだろうと思ってもいいでしょう。
熱狂しなければわからなかったものも、あるはずです。
熱狂自体が悪いとは思いません。熱狂する対象次第ですね。
熱狂せずに、自分のことだけ考えればいいかっていうと、そうでもなさそうです。
権力を持っている人とか、お金とか、そんな外側のものにも流されずに、自分の煩悩とか欲とかにも流されず、両方に軸足を置いて、(中略)どちらにも傾かず、今、この瞬間を全力で生きることができる。
- 強者、金に流されない
- 欲や煩悩に流されない
それで、この瞬間を全力で生きることができるのでしょうか。
町田さんは、「自分にとって」どうするかを言います。
オートマチックじゃない言葉遣い、文学的な言葉遣いで突破していくことによって、マスの言語に抵抗しながら言葉を紡いでいく、こういうことを、今後、自分がやることが、自分にとっての、これからの日本文学であると。
熱狂が悪いのではなくて、周りに流されるのがいけないのだと思いました。
自分なりの考え方を構築し、「自分にとって」どうするかを実行する。
そのための土台として文学があるのだと、感じました。